連載
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(16)=医者「仕事したら死にますよ」
黒田喜与美さんは、「とにかくお金がないのよ。夫にはひたすら『辛抱してくれ』と言われて、ショックを受けたわ。『コップ半分でも』と油を分けてもらったりした。最初10年間ぐらいボラッシャ(ゴム)やっていた
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(15)=「日本に良い思い出はない」
現地の黒田喜与美さんは普段、あまり日本語を話す機会がないように見え、まるで溜まっていたものを吐き出すかのように思い出を語り始めた。 「私は満州国鉄嶺生まれの引き揚げ者なの。父は何かの事情で一緒に引
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(14)=「悲しいなんて生易しいもんじゃない」
PV日本語学校で教師をする荻沼由季さん(29、茨城県)は、現役のJICA青年ボランティアだ。 日本でも日本語教師を生業とし、来日する留学生に語学学校で教えていた。「ベトナムで教師ボランティアを一週
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(13)=非日系主体の日本語教師陣
「日本祭り」後に田辺さんに呼ばれ、「ぜひ日本語教師を取材してくれ」と声をかけられた。さっそく会うと、JICAボランティア関係以外の大半が非日系だが、しっかりとした日本語で取材に答えた。 生粋のPV
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(12)=アルゼンチン日系二世が文協会長
ロンドニア日伯文化協会の会長は、なんとアルゼンチンのブエノスアイレス生まれの日系人、玉田マリエラさん(49、二世)だ。戦後移民の娘らしく、日本語が達者で、日本研修中にブラジル日系三世(サンパウロ州ト
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(11)=「日本人死ね! 国に帰れ」
田辺さんが、光日本語教室を始めたきっかけは、パラナやサンパウロから来た若い日系人が、子供に日本語を教えたいと言い出し、「お前は一世だから日本語教えてくれ」と頼んできたことだ。 「ボクは6歳で日本か
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(10)=砂金掘り闊歩する無法地帯
地元の田辺俊介さん(69、鹿児島県)の指に、フリーメイソンの紋章が入った太い金の指輪があるのに気付いて、由来を尋ねた。 「ボクもメイソンに入っているんですよ。しかもこの指輪は、僕がガリンポ(砂金掘
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(9)=かつての栄光を胸に抱いて
もとをたどれば、鉄道建設のアイデアはボリビア側が希望したものだった。第1次ゴム景気(1879~1912年)の時、最大の生産地ボリビアは輸出先である欧米まで搬出ルートを探していた。1800年代、産業革
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(8)=枕木一本に一死体、死の鉄道
ポルト・ヴェーリョ地方紙「ジェンチ・デ・オピニオン」電子版、07年10月12日付に《カンデラリア、忘れられた英雄たちの墓場》との見出しの記事を見つけた。 いわく《セントロから2キロにある神聖な歴史
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(7)=笠戸丸の頃から日本人がいた町
サントアントニオ発電所のガイド、マウロさんから「ここには昔から滝があったから、その地形をいかしてダムを作った。滝があったから、昔はここより上には船が上がれなかった。だから、ここから8キロ下流を起点に