連載
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(17)
書類第9号の翻訳の終わりに、署長は次のような事を報告している。 ☆ 《上述の内容に関連して、他の者以外にも次の証人の話を聞いた。サクイチ・ウチガミ、タカノブ・マツモト、アキラ・タニグチ、
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(16)
書類8を添付した後にルツガルデス・ポッジ・デ・フィゲイレード補佐官は次のようなコメントを書き記している。原文のまま引用すると、 「本件に関して、種々の調査の結果、ヘイタカ・タイラはサンパウロ州、ツパ
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(15)
そのような事を許せない日本人のグループにより「大政翼賛同志会」が作られた。これの元になった「大政翼賛会」は、近衛文麿を中心として日本に作られた左右合同の政治団体だった。 「大政翼賛同志会」はブラジル
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(14)
リストはつづき、安保三次郎、安保ハツタル並びに安保ハルの子息、32歳、既婚者、日本人、秋田県出身、耕作人、仏教徒、ペレイラ・バレット駅在住。 安保キタロ、安保サブロ並びに安保ヤスの子息、22歳、未婚
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(13)
兄さんが投獄されてからひと月たったころ、善次郎は、いつものように太陽が顔を出すずっと前に起きていた。バケツの水を半分たらいに移し、体を洗い始めた。 髪をまんべんなく濡らしてから、後ろに櫛ですいていた
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(12)
兵譽は通行許可書(枢軸国の移住者には必携だった)をもっていなかった上に、そのころ、禁止されていた日本語のパンフレットの包みを抱えていた。 通行許可書はオレンジ色の手帳で、その所有者がどこからどこへ行
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(3)
ブラジルは日本国に対しては宣戦布告をしていなかった。その日、ブラジルの新聞は大見出しで「民主のため、自由のため、正義のためブラジルは全国民の意を受けて、ドイツ、イタリアに対する戦争を容認した」と報じ
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(10)
池田アントニオ(本名・龍生)はサンパウロ州の奥地、アシス市に住んでいた。実家は大阪で狩猟用の武器製造工場をもっていたそうだが、ブラジルでは刃物製造に従事していた。たぶん、狩猟の武器との連想からか、射
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(9)
第3章 大和魂 戦争の気配がこくなると、地方での話題はもっぱら戦さに関するものになった。一九四〇年に第二次世界大戦が起こり、世界は二つに分かれた。 日本、ドイツ、イタリアによって構成されて枢軸国側
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(8)
畑仕事に明け暮れていた家とは大いに違い、ツパンの家は住家としては、申し分のないもので大変な進歩といえる。家は大きな敷地内にあり、果物の木もあり、畑を作るだけのスペースもあった。井戸からは澄んだおいし