連載
-
日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(6)
農園主が雇用者に対して行っている搾取はあきらかだった。彼らは自分たちの不正を隠そうとして、一九二九年にニューヨークの株市場で起きた世界大恐慌をたてにとって、安い賃金を支払いつづけていた。この世界大恐
-
日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(5)
このようなわけで、日本人同士団結して農業組合を立ち上げる試みが行われた。成功したものもしなかったものもあるが、ともかく、今日でも新聞を広げると、当時の移住者が経験したのと同じようなことをいまだに継続
-
日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(4)
この移民収容所は一八八七年に創設されたもので、一世紀にわたって六〇カ国余から移住者を受け入れてきた。もともと、移住者は奴隷の代わりに労働者として受け入れられていた。ところが、奴隷解放を謳った「アウレ
-
日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(3)
英新は六十二歳になるまで乗馬の経験があることを黙っていた。 それは、息子や孫たちとサンパウロ市からそう離れていないカブレウーバにキャンプに出かけた時のことだった。キャンプ場の管理人が一頭の馬を引いて
-
日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(2)
善次郎は七年前に五人の子どもを引き連れて、神戸港からモンテヴィデオ丸に乗り、移民としてサントス港に着いたのだ。それは一九三一年のことだった。 ブラジルと日本の政府の合意により、多くの移住者がやってき
-
日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(1)
第1章 苦いコーヒー ガラスもなくカーテンもない裸の窓からは、朝日がサンサンと差しこんでいた。風もないのに歩くたびに埃がまいあがり、その日もまた朝から暑い夏の一日になることが予想された。一九三八年一
-
県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=(第27回、最終回)=国内線で日語アナウンスの快挙
空港に向かうバスを待つホテルのロビーで、一行の山中タツミさん(86、愛媛県)=サンパウロ州カンピーナス市在住=に今回の旅の感想を聞くと、「カピトン・フジタの別荘でやった、マンガの木の下でやった慰霊ミ
-
県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第26回=司教がピウンで慰霊ミサ
最終日3月16日(水)の朝、一行のうち28人だけで、ピウン植民地に向かい、慰霊ミサを行った。訪問先は現在も同植民地内に住む松苗賢治さん(72、神奈川県)の自宅で、150人全員は入りきれないという判断
-
県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第25回=ナタルにもいたコチア青年
ナタルでは珍しい60代の一世、野溝稔さん(のみぞみのる、68、長野県)は13歳の時、1961年にあるぜんちな丸で家族と共に渡伯した。「ナタルで一世は全部で10人いるかどうか」という。 最初はサンパウ
-
県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第24回=北山さん「死ぬまでピウンに」
ピウン植民地で育った長島俊行さんは「ロサンゼルス経由の船で来た日本移民が、スイカをそこで買って種を持ち込んだんですよ。最初、庭先に植えてうまくいった。1958、9年頃かな、それを本格生産してみたら出