連載
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第23回=苦労絶えなかったピウン植民地
北大河州日伯文化協会の青木イサシ・ミウトン会長は「僕は南米銀行のナタル支店に勤務し、その当時1996年9月12日にこの協会を創立した。98年に南銀が吸収合併された後も、この町に残った」と自己紹介した
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第22回=米空軍基地あったナタル
3月15日午前、一行は最後の目的地、北大河州の州都ナタルに向けて出発した。市内観光の時、地元ガイドが戦中の興味深い歴史を語った。 第2次世界大戦でブラジルは連合軍に入り、ヴァルガス政権はこの町に米空
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第21回=戦前から盛んだった洗濯屋
3月14日、大谷農場を後にした一行は、国内で作られる海水を原料とする塩の97%が生産されている北大河州の海岸部にある塩田を訪れた。 州塩生産組合会長でもある市観光局長のレナト・フェルナンデスさん(5
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第20回=小5中退のトラウマをバネに
大谷さんは「日本人は良い作物を作るが、販売が弱い。だから輸出は、信用できるブラジル人のパートナーに任せている」と力説した。それが「レアル・フルッタ」という日系人を中心とした生産者集団だ。他のメロン生
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第19回=雨が降る有難さを痛感
北大河州では3~5月が雨季だが「まったく当てにならない。ここ4年ほどずっと干ばつが続いている」という。「雨でメロンを作ると天候に頼らなくてはならない。だから、雨の降らない所で、乾期に必要な分だけの液
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第18回=世界から欧州に集まるメロン
やはり地元の松本カルロス幸夫さん(52、二世)にも話を聞くと、かつては450ヘクタールほどメロン栽培をしていたが、今は300だという。「9割が輸出。理想は輸出7割、国内3割だな」という。聞けばピラシ
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第17回=モソロー初の日本人は炭坑離職者
懇親会会場であるホテルには入来田純一さん(67、福岡県)が来ていた。彼の父が同地最初の日本人、邦男さんだ。1961年に家族で渡伯、当時純一さんはまだ中学一年、13歳だった。「こっちにきて殆ど学校に行
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第16回=毎週種まきと収穫をする農業
3月13日(日)午後、一行は北大河州モソロー市にあるホテル・テルマス・デ・モソローに投宿し、ゆっくりと温泉プールを楽しんだ。セアラ―州都フォルタレーザと、そのすぐ南に位置する北大河州都ナタルは約40
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第15回=終わらないコロニアの戦後
パ紙1954年1月15日付も、桜組挺身隊が前年11月から南聖のペドロ・デ・トレード、イタリリー、アナディアス方面に現れ、《「無料帰国」をエサに相当額の金子を搾取しているとの情報がある》と報じた。 詳
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第14回=堀沢を殺しに行くと決意
終戦後、数年が経ち、中村伯毅さんは子供心に「何かおかしい」と思い始め、父を問い詰めた。「僕は何回も『お父さんは騙されている。もう止めてくれ』と考え直すように、お願いしたが、父は聞いてくれなかった。僕