連載
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第13回=帰国手続き詐欺の被害者
中村伯毅さん(ひろき)の話は、終戦直後に起きた「帰国手続き詐欺」だ。土地証書など一式をブラジル政府に預ければ、日本への帰国船の手続きをしてくれるというもので、その手続き料、必要経費などと称して毎月の
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第12回=「母の勇気の何分の一かあれば」
竹中芳江さんの家族の話は実に興味深い。「グァポレに到着した時、他の家族はみんな泣いていたけど、母だけは歌っていた。だってアマゾンにきて初めて、家族が全員そろって御飯食べたのよ。あそこにいた3年半で家
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第11回=「コチア解散でコロニアがバラバラに」
12日の夕食時、大崎康夫さん(77、高知県)=ピエダーデ在住=に話しかけると、「僕は葉山村(津野町)出身、下元健吉と同じ部落なんです」との言葉にググッと心を引き寄せられた。 「川向いが下元の実家。子
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第10回=「移住したおかげで命拾い」
一行のうちで最長老、92歳でしゃきしゃきと歩き回る武田勝喜さん(熊本県)は、14歳の時に渡伯した。「一緒に住んでいた叔父さん(父の弟)が結婚し、『どうしても移住したい』っていうんです。それには『働き
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第9回=セアラー唯一のコチア青年
同協会メンバーの桜庭セルソさん(61、二世)は20年前に仕事の関係でサンパウロ州から移り住んだ。ブラジル民謡協会の故桜庭喜太郎さんは伯父に当るという。「現在の会員は100家族ほど。多いときには運動会
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第8回=中尉「父は死にそうに失望した」
ルジアさんは「戦中のこの記憶は、家族のトラウマとして残ったわ。私たち子どもの服や本まで無くなったのよ。壊された家のドアや窓を直して、ようやく戻れるようになるまで、親戚の家の、土間の家政婦部屋に家族で
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第7回=戦中に暴徒に襲われ避難
ルジア説ではこの時にアマゾン下りをし、最初はベレンに住み着いた。おそらく1920年頃だろう。 1922年頃に、友人の中国人に誘われてセアラ―に南下し、日本人が誰もいないフォルタレーザに居つき、近郊の
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第6回=親の借金返済に南米デカセギ
藤田十作日本庭園を2012年に訪れ、その存在を最初に記者に教えてくれたのは、元文協会長の山内淳さんだった。 彼からその時に受け取った資料によれば、フォルタレーザ市で発行されている新聞「オ・ポーボ」紙
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第5回=藤田十作l908年にペルーへ
12日(土)午前9時半、一行約150人はフォルタレーザ市のはずれにある、先駆者・藤田十作の子孫が持つ別荘に到着した。入口には直径10メートルほどの大きな鳥の檻、見事な熱帯植物の木々、子供の遊戯場、テ
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第4回=風力発電の壮大な無駄に驚き
イタイプーダムを救った「8人の侍」の一人、千田功さんは、湾岸戦争を機にメンデス・ジュニオール社の仕事を辞め、その後91年頃から日本にデカセギへ行っていた。「5年間は東京都の日野自動車社、残りの5年間