連載
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(62)
公民学園 彼らアンシエッタ仲間は、家族単位でアサイに転住してきた。自然、地元の聯盟員と一つの小社会を構成した。この小社会の子供たちは、谷田の公民学園で学んだ。 その生徒であったという人が、2015年
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(61)
1946年7月、谷田を含む78人が、アンシエッタ島の刑務所へ送られた。谷田、48歳であった。島流しは同年末まで続き、計170人となった。その中には、襲撃実行者もいたが、大部分は無関係(無実)の臣聯の
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(60)
臣道聯盟理事・谷田才次郎 馬の背……つまりアサイの市街地のことは、先に触れた。 その背筋に当たる大通りを下り切った処に、谷田才次郎という人物が長く住んでいた。戦前から戦後にかけてのことである。製材所
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第32回(最終回)=軍政終了30周年の意味
認識派は戦中に受けた心の傷から「政府批判」に敏感になっており、勝ち組が力をつけると公に政府批判を始める可能性があると見た。その前に徹底解体しなければ自分たちが巻き添えを食うから、政府側について一緒に
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=(59)
詐欺で大量被害 よく知られている様に終戦直後は、戦勝説に便乗した詐欺が、各地で頻発した。アサイでも大量の被害が出た。多数の邦人が集中していたため、狙われたのである。 外部から詐欺師たちが入り込んで
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第31回=全盛の105号で突然の休刊
最終巻の「休刊の辞」に岸本本人が書いた《終戦直後、コロニアは祖国の敗戦によって、思想的混乱に陥り「強硬」「敗戦」の二派に分かれて拳銃やドスを懐にして血眼になって抗争している最悪の時にこそ、民族の道し
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(58)
アサイとトゥレス・バーラス 1944年、市街地アサイはムニシピオに昇格した。周辺の区の多くは、その新ムニシピオに編入された。が、区の全部または一部が、隣接する別のムニシピオに編入された所もあった。そ
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第30回=恩讐を超えた境地とは
戦前移民の85%が持っていた「帰りたくても帰れない」心情が、戦後、帰国不可能という現実に直面して「郷愁」という病気になった。それを直すために、毎日薬を呑むように、郷愁を繰り返し題材して小説や俳句、短
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=(57)
清水家の災難 1943年12月31日、ペローバ区の清水家に災難がふりかった。当時、清水家は使っていたカマラーダに、賃金の代わりに、近くの商店で使えるバーレ(引換え券)を渡していた。が、そのカマラーダ
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(56)
危惧、的中 この間、ブラ拓事務所と産業組合の危惧が、早くも的中していた。 1942年2月4日、セボロン区の志津源次郎の甥、小泉徳雄(25才)が、市街地に買物に出ての帰途、路上で、カマラーダたちに襲わ