連載
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第44回ふるさと巡り=メキシコ、交流と歴史の旅~榎本殖民地を訪ねて~=(2)=厳重ホテルに警戒気分=ゴンちゃんガイドで睡魔
部屋の冷蔵庫に鍵がかかっているので謎に思っていると、20ドルほどのデポジットを入れないと鍵をくれないという。ふ~む、なかなかに厳重だ。そしてホテルの貴重品ボックスの扉に鍵も鍵穴もない。これもフロント
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第17回=対伯批判できない邦字紙
戦争中の経験は移民史上に残されず、心の奥底にうずき続けた。 サ紙創立に関わり、文協事務局長、県連会長も務め、コロニアの裏面をよく知っていた藤井卓治は「日本語新聞最大の欠陥は、ブラジルの政治批判が許さ
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第44回ふるさと巡り=メキシコ、交流と歴史の旅~榎本殖民地を訪ねて~=(1)=いざ、メキシコ(墨西哥へ)!=タコスとビールに酔う初日
9月24日~10月1日の日程で『県連第44回ふるさと巡り』(本橋幹久団長、参加者数90)でメキシコを訪れた。世界で唯一、日本人学校と現地校が融合した「日本メキシコ学院」、首都メキシコシティや古都クエ
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第16回=戦中にブラジル政府に抗議?
『受難』の中の半田知雄日記には、こんな記述もある。《42年2月26日=第五列の嫌疑で捕まった人たちが、(留置場において)どんな生活をしているかは、多くの同胞が知りたがっていたことであったが、九十日も
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第15回=戦中に拷問された戦前指導者
戦争中のことに焦点を絞った貴重な文献『戦時下の日本移民の受難』(安良田済編著、11年)には鳥取県人会会長を30年も務めた徳尾恒壽の日記が転載されている。開戦時に東山銀行の経理部主任をしていた。《▽1
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第14回=「死ぬような思い」とは
1941年12月、太平洋戦争が勃発し、ブラジル政府から最初に目の敵にされたのは戦前の日系社会指導者層、つまり戦後の認識派リーダーであった。戦前に大事業をやっていた東山農場、日系商社、ブラ拓などは資産
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第13回=英米領事が尋問に同席
『戦野』68頁には、驚くべき記述があった。《サンパウロの保安課ではアメリカの領事と、英国の領事が相互に出張し、彼らの諜報機関からの情報や調査を基本として、指令を与えたり、在伯、日、独伊人に対するブラ
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(52)
この平十さん、ブーグレ時代、大事にしていた良馬を盗まれた。怒り心頭、200キロもの距離を探し回った。ジャタイを経てロンドリーナまで行ったが、見つからなかった。しかし「人間万事塞翁が馬」で、ジャタイの
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第12回=日本移民版「出エジプト記」
岸本昂一はこのサントス強制立ち退きを《大南米におけるわれらの「出埃及(エジプト)記」》(同42頁)と譬えた。 岸本のようなキリスト者にとって、ユダヤの民がモーゼに導かれてエジプトを脱出する苦難の歴史
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(51)
この地方は今日、国内有数の穀倉地帯となっている。何処まで行っても、車窓遥か地平線まで続く無数の大農場、しばしば現れる大、中、小の多数の都市から成っており、小国くらいの規模はある。まさに国造りをしての