連載
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(47)
窓外に見る企業の浮沈 先に記したカフェー・ソルーベル・イグアスー社の工場は、2015年現在、操業開始以来、40年以上になる。 筆者は、何度か、その工場の傍を車で通ったが、その威容が周辺を圧倒している
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第5回=認識派新聞に伝わる〃伝統〃
岸本逮捕に関して伯字紙よりも早く報道にしながら、距離を置くニュアンスのパウリスタ新聞―。パ紙の創立は1947年1月であり、岸本逮捕はその翌年3月だ。 良く調べてみると、そもそも岸本逮捕の発端となった
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(46)
往事茫々 斉の息子の宮本ミノルは1962年、下院議員に当選したが、1978年の選挙で落選、以後、政界復帰をすることはなく、他界した。 1973年、コルネーリオ・プロコッピオの市長になった邦弘の息子ネ
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第4回=勝ち組叩きで名を挙げた翁長
翁長英雄の意見を大々的に報道した1946年4月10日付ノイテ紙記事の主見出しは「A Shindo-Renmei Prosseguira!」(臣道聯盟は突き進むだろう)。副見出しが「Um nipo-b
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(45)
1960年代後半、筆者が邦字紙の新米記者をしていた頃、邦弘はサンパウロ市内にも事務所を置き、様々な事業に関わり、幾つかの団体の役員を務めていた。 人から聞いたことだが、自家用の飛行機で飛び回っており
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第3回=伯字紙「最悪の人物」と報道
当時の伯字紙を探すと主要紙が揃って岸本逮捕を報じていた。前年まで連日騒がせた臣道聯盟に関連した〃大事件〃と見られていた。 48年5月16日付コレイオ・ダ・マニャン紙は「ブラジルにたて突く本を書く」と
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(44)
こういう話もあった。正月、斉の配下たちが、農場のセーデ(本部)で新年会を開いていた。そこにカマラーダが乗り込んで着て、仲間に入れろと暴れ出した。それを小山田という男が、鞭で叩きのめした。カマラーダは
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第2回=終戦直後のベストセラー
サンパウロ州公文書館(Arquivo Público do Estado de São Paulo)でDOPSの岸本調書(10590)を調べたところ、1957年5月21日付けの判決文があった。岸本へ
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(43)
博打と拳銃 ところが、この斉、町では博打ばかりしていた。70コントス負け、兄から貰った20アルケーレスの土地を渡してしまった。後年のことになるが、サントスへ行って400コントス負けたことがある。が、
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第1回=正史から抹殺されたジャーナリスト
67年前――1948年3月3日午前10時、サンパウロ市ピニェイロス区の寄宿舎学校「暁星学園」に社会政治警察(DOPS)の刑事が突然訪れ、著書『南米の戦野に孤立して』を出版したばかりの岸本昂一学園長(