連載
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(42)
このアルマゼンについては、本稿では、すでに何度かふれた。浩は、ここから余り遠くないアグア・リンパの安瀬盛次と、ほぼ同時期、この商売を始めている。 当時、このプロミッソン地方には、植民地が多数でき、邦
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(41)
労働法問題、強盗 1960年代の末以降、この国の何処でも、農場主は労働法問題に苦しめられた。 弁護士たちが農村労働法を道具に、労務者を唆して雇用主を告訴させた。裁判は、殆ど原告の勝訴となった。被告
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(40)
父親そっくりの… 後宮武雄の長男良威氏は、先に記した様に、1935年、セント・ビンチ・シンコに生まれ、翌年、日本へ行き、15歳でブラジルに帰った。その後1957年、再び日本へ行き、父親と同じ慶応の経
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(39)
14年間、帰伯不能 ところが、日本滞在中、武雄が病気になったり父親の仕事を手伝ったりしている内に、大東亜戦争が始まり、帰伯不能になってしまった。 農場は支配人によって管理されていたが、1942、3年
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(38)
髑髏、現わる 一人になった武雄は困惑した。幸い、前出の総領事館の斉藤の世話で、支配人にしかるべき人材を得、購入地の開拓に着手した。その時の写真が残っているが、中に衝撃的な一枚がある。人間の髑髏が三つ
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(37)
「君の名は」の後宮 ここで一寸、話の筋は逸れるが、後宮という姓は、元々は「うしろく」と読んだ。が、当時、戸籍は仮名をふらなかったので、信太郎は「あとみや」と名乗った。 その弟は「うしろく」のままで通
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(36)
二章 バンデイランテス 農場を守り、守り続けて90年 サンパウロ―パラナ線は、1930年、カンバラーから西へ52キロ地点まで延びた。駅はバンデイランテスと名付けられた。これは地名にもなった。 駅の
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(35)
迫害 やはりナショナリズムの影響で日本人の新年会に、カマラーダが数名乗り込み、ファッカや山刀を振り回し、ケガ人が出るという事件も起きた。彼らは、いつも、武器を腰に下げていた。警官に偽装したギャングも
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(34)
後から知ったそうだが、ブラジルでは、園芸作物に特許権というものはなく、それに代わるものは学会での発表だけであった。 奥山家では、コチア産組の間島正典技師の計らいで、夫人の名で日本でも品種登録をした。
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(33)
上野さんが、地元の文協を案内してくれた。ACEB=バンデイランテス文化スポーツ協会=という名称である。会員は150家族というが、その割には、立派なグランドやプール、各種の建物があった。創立は1949