連載
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在日日系社会の教育意識=エスコーラ・フジの場合=(2)=公立校との使い分けは=子の将来は日本、ブラジル?
日本語を流暢に話す生徒には、日本の小中学校から転入してきた子が多い。親が帰国を意識したり、日本の学校の慣習に馴染めなかったり、と理由はさまざまだ。転入後も日本人の友達と連絡を取ったり遊びに行ったりす
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(27)
背後に国策 しかるに何故、100万円を出したのか。その正確な理由は資料類にも記されていない。が、筆者は、この時期、野村徳七は政府からブラジル投資の要請を受けていた──と読んでいる。 以下は拙著『百年
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在日日系社会の教育意識=エスコーラ・フジの場合=(1)=経済危機、震災越え継続第一外語は英語、第二に日語
ブラジル経済は大不況に突入しそうな雲行きの一方、日本は東京五輪に向けて人手不足という状況の中で、今年3月の出入国管理統計でリーマンショック後初めて、日本へ入国するブラジル人が出国者を上回った。デカセ
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(26)
二章 バンデイランテス 農場を守り、守り続けて90年 サンパウロ―パラナ線は、1930年、カンバラーから西へ52キロ地点まで延びた。駅はバンデイランテスと名付けられた。これは地名にもなった。 駅の
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(25)
その数奇な運命 マツバラの後、ファゼンダ・ブーグレは、セラフィン・メネゲールという、やはりこの地方の事業家が買い取った。2015年4月現在、ブーグレでカナを栽培、それを原料に、バンデイランテスでエタ
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(22)
儲けに儲ける 1961年、40アルケーレスの土地を借りて棉を作ろうとした。しかし営農資金がない。知人に相談すると、貸してくれた。この時も儲けた。借地していた40アルケーレスの土地を買えるほどだった。
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(24)
資金繰りに苦しんだ! 2014年、筆者は松原武雄の弟のスエオ氏(二世)が健在であることを知った。バンデイランテスに住んでいるという。会って筆者の推定を確認したいと思った。が、多分、先方は断るだろうこ
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(23)
マツバラ消滅! 一体、何が? ところが、そのマツバラが、いつの間にか消えてしまったのである。しかし、それが、いつのことか、何故そうなったのか、不明であった。1990年代のことらしかったが、当時、そ
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(21)
この1939年、姉が結婚した。それを機に、一家はイタンバラカーの大槻という日本人の農場に移った(イタンバラカーも、現在は独立した町=ムンシピオ=になっているが、当時はインガーの一部だった)。 大槻家
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(20)
8歳で農作業 少年は、日本では小学校に通っていたが、ブーグレでは、学校には殆ど行かず、カフェザールで働いた。もっとも当時、移民の子はたとえ8歳でも、そういうケースが多かった。 ファゼンダでは日本、ロ