連載
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(9)
ともかく、北パラナのテーラ・ロッシァでのカフェー栽培は、無肥料で25年から30年続けることができた。カフェー樹一本当たりの収穫量も他州とは比較にならぬほど多かった。これは別の作物も同じだった。 なお
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(8)
一章 カンバラー カフェーは血であり命であった 往年、カフェーはブラジルを支えていた。国内で流通する貨幣の殆どは直接・間接にカフェーと関連して動いていた。それを見事に表現する名言があった。こう
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(7)
『百年の水流』は、勝ち負け抗争以外の記事ではコチア、スール、南銀の落城の内幕を紹介したことに関し、多くの読者から「これでよく判った」という謝辞が寄せられた。この落城では、莫大な損害を受けたり人生を狂
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(6)=産経新聞も移民史修正問う
こういう簡単な──小学生でも知っていることも混じっている──基礎的な事実すら間違えていて、歴史研究などできる筈はない。 しかも、このピンチ・ヒッター氏の記事は誤字、単純な事実の間違い、助詞の誤用、意
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ドウラードス日本語モデル校=創立25周年を顧みて=校長 城田 志津子=(6)
和太鼓「絆」の響きが地域を繋ぐ 後半の15年は開校当初に比べますと生徒数は半数にも及びませんが、それなりにきめ細かなゆとりある授業ができました。 また、和太鼓の導入がリーダーを育て、そのリーダーた
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終戦70周年記念=桜組挺身隊の記憶=カンピーナス 伊藤喜代子=第4回・終=空き缶叩きセントロを行進
幹部たちが眉にしわを寄せ忙しそうにしている他は、毎日、退屈するほどのんびりしていた。もっとも、大人たちの心はしるよしもなかったが。 そんな日々のある時から大人たちは、大きな油の空き缶や、小さな空き缶
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(5)
後に筆者が、そのヘマを犯した当人に「彼は歴史研究家ではありませんヨ」と言うと、否定はせず、微かに頷きながら、後悔の色を表情に浮かべていた。その表情から(すでに、ほかの人からも、同じ忠告を受けたナ)と
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ドウラードス日本語モデル校=創立25周年を顧みて=校長 城田 志津子=(5)
それに追い打ちをかけるように、連合会経営の学生寮もまた、寮費や学費が払えない者、近隣の町から市の援助により学生バスが通うようになったので自宅から通学する者が増え、募集しても入寮者はわずか2~3名程度
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終戦70周年記念=桜組挺身隊の記憶=カンピーナス 伊藤喜代子=第3回=「今、先生様がお散歩に」
サントアンドレーのあの場所は、夕暮れ近くになると視界が遮られるほど霧の深い所だった。なので、朝は地面が濡れていた。その濡れた粘土のような土を踏んで下の池まで顔を洗いに行かなければならないのだが、かな
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(4)=抗争の印象は軌道修正へ
また奥原氏は、臣道連盟や勝ち組の人々が受けた迫害を、州の真相究明委員会に持ち込んだ。その結果、州議会で公聴会が開催され、委員会が、被害者と日系社会に謝罪するという成果があがった。 さらに、6月6日、