連載
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ドウラードス日本語モデル校=創立25周年を顧みて=校長 城田 志津子=(4)
また対外的にはコチア産業組合の支援を受けてローカルテレビを通じて、週1回、正午15分間の日本語講座を開設し、日本文化紹介に努めました。しかし、2年も経ずにコチア産業組合は経営不振に陥り、この日本語講
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終戦70周年記念=桜組挺身隊の記憶=カンピーナス 伊藤喜代子=第2回=若い女性には苦痛な事も
ブラジル各地から集まった桜組挺身隊の同志は、サントアンドレー市の町はずれで養鶏場を営んでいた人のところに落ち着いた。 共同生活を三カ月くらいやった後、軍によって強制解散させられるのだが、その後の同志
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終戦70周年記念=桜組挺身隊の記憶=カンピーナス 伊藤喜代子=第1回=子供からみた事件の内幕
ちょうど60年前――終戦直後から始まった勝ち組系の動きの中でも最後の大規模なものが起きた。1955年5月16日にサンパウロ市のセー広場周辺で起きた「桜組挺身隊の街頭デモ」だ。53年5月頃からサントア
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(3)=内山主幹「通説が問題だな」
「アンシエッタ島の刑務所へ送られたではないか。それが、有罪判決が出た証拠」と反論する人も居るであろう。が、これは、その刑務所を臨時に拘置所代わりに使用したものであり、収監・服役ではない。(襲撃実行者
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ドウラードス日本語モデル校=創立25周年を顧みて=校長 城田 志津子=(3)
連合会創立当時から学務という部署がありましたが、83年、名称を日本語普及部と改め日本語普及に向かっての活動が始まりました。同年、松原移住地にも私塾の日本語学校が開校され、殆どの日本人移住地に日本語学
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(2)=有罪判決なき臣聯幹部拘束
反響から判断すると、まず勝ち組・負け組抗争の真相を発掘したことが良かったようである。この抗争は、それが発生してから(『百年の水流』出版の時点で)60年余、日系社会でもブラジル人の間でも、さらに日本で
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ドウラードス日本語モデル校=創立25周年を顧みて=校長 城田 志津子=(2)
共栄の生徒と向き合う中で、共栄だけの日本語教育でよいのか、連合会マ州傘下の日本語学校がよくならなければ生徒も成長しない、ということを感じ始めました。連合会会長に地域の日系子弟が交流できる場を提案する
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(1)=多く方々からの助力に感謝
前書き まったく歳月の過ぎ去るのは早いもので、2006年の暮れ、拙著『百年の水流』を出版して以来、すでに10年近くになる。この本は、その数年前にサンパウロ新聞に連載した記事を推敲、新材料を多数盛
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ドウラードス日本語モデル校=創立25周年を顧みて=校長 城田 志津子=(1)
はじめに 今年、南マットグロッソ州日伯文化連合会創立50周年、本校創立25周年を無事迎えることが出来ましたこと、この上もない歓びであります。 南マットグロッソ州日伯文化連合会並びにドウラードス日本
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駐在員をテーマーとするショート・ショート連作=「ブラジル諸人来たり」ブログより許可をえて抜粋=(5)=地球の反対側の偶然
「信じられない!」ママは彼がカウンターの席につくと、そんな事を口走っていた――。 仕事が終わったのは七時に近い時間だった。彼はまだリベルダーデ界隈の飲み屋に行くのには、時間的的に早すぎると思ったが、