連載
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第15回=平野植民地=初期開拓者の子孫が突然訪問=亡母の乳房吸う赤子が私の親
門徒総代の矢野さんは「数年前に初期入植者のソブリーニャ(姪)という人が突然、訪ねてきた。平野植民地の最初の悲劇の時に、マラリアで死んでウジがわいている母親の乳房を必死ですっている赤子の話を書いた本の
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第14回=平野植民地=開拓古戦場を今も守り続ける=この辺から奥パに戦後転住
1915年当時、マラリアに関する知識は皆無だった。「日本人は米」と河畔地帯に入植地を作ったことから、次々に病魔に斃れ、最初の3カ月で80人が命を失った〃開拓古戦場〃が平野植民地だ。 《毎日毎日死人が
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第13回=平野植民地=死屍累々として幽鬼も咽ぶ=植民地開設の先駆けに
南マット・グロッソ州のノーヴァ・アンドラジーナから来た代田正二さん(しろたしょうじ、90、長野)は「リンスは若い人がたくさんいて良かった」としみじみ語った。アチバイアの寺田三千男さん(72、長野)は
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第12回=リンス=涙で最後まで歌えない『歌』=「お寺だけで歌うの勿体ない」
「先ほど皆さんで歌ってもらった『移民の歌』はね、つい10、20年前までは、途中で泣けて泣けて、最後まで歌いきらなかった歌なんですよ。日本でも紹介したことがあるんですが、日本の人に至っては聞いてもくれ
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第11回=リンス=青天の霹靂、鐘楼堂開幕で=叔母岡山薫界の劇的な死越え
二代目である岡山住職に60周年を迎える寺の歴史を聞くと、初代の岡山薫界(くんかい)は叔母に当るという。戦後すぐに訪日したプレジデンテ・プルデンテのお寺の門徒総代が、たまたま薫界師の法話を聞き、「これ
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駐在員をテーマーとするショート・ショート連作=「ブラジル諸人来たり」ブログより許可をえて抜粋=(4)=オードリー、それともカヨコ
「アウドリー」という名前を知ったのは、佐竹健一がブラジル支社に就任して本年ほどし、事務所から工場勤務になったあとの事だった。 どこかオードリー・ヘップバーンを思わせる名前だったので興味を覚えたのだ。
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第10回=リンス=赤子の名並ぶ初期の過去帳=ハワイの海岸で海向く墓石
午前11時半から始まった歓迎交流会で本橋団長は、「お寺さんが地域の人の心をしっかりと掴んでいるから、こんなに立派なお寺が作られたのだと痛感した。若い人がいっぱい手伝っている」と挨拶した。和教さんは「
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第9回=ドラセーナ/リンス=「日系団体のあり方のモデル」=戦後の町から移民開始地点へ
元会長の仲里パウロ幸善さんは「父から沖縄文化の話を沢山聞いた。父はブラジル人の宗教を信仰しなさいというので、カトリックになった。私が文協会長時代(2010―11年)に、和太鼓をやろうという話が持ち上
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第8回=ドラセーナ=太鼓で若返る文協の活動=日本人イジメを乗り越え
楽しそうに、溌剌と叩く清心太鼓の若者たちのエネルギーが会場に充満し、曲によって客席から大きな拍手や手拍子が混じった。 ドラセネンセ文化体育協会の和太鼓リーダーの宮口ケンジさん(25、三世)によれば、
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駐在員をテーマーとするショート・ショート連作=「ブラジル諸人来たりて」ブログより許可をえて抜粋=(3)=今どきのマクンバ(アフリカ伝来黒魔術)
真夜中、香織は一人で「マクンバ、マクンバや!」と大阪の自宅で叫び、グッド・アイデアに膝を叩いた。と言うのは、どうしても夫の片岡清をやっつけてやりたいと思っていたからなのだった。 ☆ そんな