連載
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第7回=ドラセーナ=「パ線沿線で一番の会館」=ド迫力の清心太鼓の演奏
3月28日夜にはドラセネンセ文化体育協会(ADEC)の会館での交流会に参加した。ドラセーナ市(人口4万5千人)創立が1945年12月で、同会創立は1948年9月だから、町の歴史と同じくらい古い。敷地
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第6回=ジュンケイロポリス=色々な形の日本との繋がり=鳥居は日本人への信頼の証
会場で最長老の古川正さん(ただし、97、北海道)はジュンケイロポリスに20年住む。1933年に渡伯し、「弓場(勇)さんが岩谷鶏を入れた頃、バストスでビッショ・デ・セーダ(養蚕)をやっていた」という。
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第5回=ジュンケイロポリス=鉄道開通したが車の時代に=「第2のバストス」とも
荒牧謙一さんは「1950年には日本人会はできていた。米のサッコ(袋)の上にみんなで座って相談していたのを覚えているよ」と思い出す。「60~70年代には〃第2のバストス〃と呼ばれて、日系が500家族は
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第4回=ジュンケイロポリス=戦後の原始林開拓の現場=今は2時間、当時は3日3晩
川崎千恵子さん(78、二世)は、「50年から原始林の開拓ができるようになって、52、3年に大挙して入植した。一番多い頃には500家族ぐらい居たのよ。田舎に住んで農業やっているのは、ほとんど日本人だっ
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駐在員をテーマーとするショート・ショート連作=「ブラジル諸人来たり」ブログより許可をえて抜粋=(2)=UFO
「工場長、この辺はよくUFOが現れるそうですよ。というのは、真っ赤な嘘ですが」と、私より半年ほど早く、ブラジル支社に就任していた後輩の矢柄が言った。 「馬鹿野郎」と、私は親愛の情を込めて、後輩の頭
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第3回=Oクルス=立派な会館に一行驚く=「時間短すぎて勿体ない」
一行は、同地の婦人部手製の料理に舌鼓をうち、バス旅行の疲れを癒した。乃美会長によれば、同地で行われる最大の行事は西本願寺主催の紅白歌合戦、その他、文協主催の敬老会や新年会も行われている。「4年前まで
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第2回=Oクルス=「市民にとって歴史の恥部」=正信偈の中、焼香の列並ぶ
マギノニ記者はさらに「あの時、町では日本人を探し回って殴る蹴る引きずると酷いことをしたと、大きくなってから聞いた。祖父の判断を誇らしく思う、彼は正しかった。たった一人の日本人の罪を、他の日本人全員に
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第1回=苦々しい記憶―Oクルス事件=暴徒と化したブラジル人が襲う悪夢
第42回県連ふるさと巡り一行154人はバス4台に分乗し、3月27日から4泊5日で、最初に奥パウリスタ延長線のオズワルド・クルス、ドラセーナ、ジュンケイロポリスという訪れる機会の少ない、主に戦後に開拓
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駐在員をテーマーとするショート・ショート連作=「ブラジル諸人来たり」ブログより許可をえて抜粋=(1)=失踪
先任の大岩康信がパウリスタ大通りにある、良く言えば二十五階建てのビジネスビル、悪く言えば雑居ビルに間借りするブラジル支社から失踪してから、既に一年近い時間が経過していた。 小峰は、その大岩という先任
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3・11特別企画=原発事故をきっかけにゴイアス移住した日本人=西牟田靖=(下)=施設手前で線量計「ピー」=未来の福島、今のゴイアニア
原発事故によってブラジルに移住した一條・ルシアノ夫妻。彼らとともに車で、1987年9月~10月にかけて起こった被ばく事故現場へと向かった。 まず訪れたのは、廃棄物が保管されている施設である。ここはゴ