連載
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県連ふるさと巡り ペルー=115年経て受け継がれる日系魂=(7)=運動施設の地価は3億ドル=大統領も出た優秀な日系学校
リマ市内観光後は、日系人が運営する総合運動場「AELU」(Associacion Estadio la Union)という一種の日系スポーツ・クラブを訪れた。一行を迎えたのは沖縄系三世の支配人安慶名
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県連ふるさと巡り ペルー=115年経て受け継がれる日系魂=(6)=遺跡の眠る街リマ観光へ=ユネスコ世界遺産を見学
二日目はバス3台でリマ市の観光ツアーへ。外は、夜間に街を覆った霧ですっかり濡れていた。今日もやはり曇天――。上着を着込んでバスに乗り込んだ。 リマは1535年、スペイン人の征服者フランシスコ・ピサロ
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県連ふるさと巡り ペルー=115年経て受け継がれる日系魂=(5)=留学生OBも文化を継承=ペルーの伝統舞踊を披露
見学後は会館に移動し、夕食会が開かれた。嵩原ルイス会長の歓迎の挨拶に続き、会食に移った。 嵩原会長は大宜味町出身の祖父を持つ、沖縄系三世。日本のマグロ船や貨物船が頻繁に出入りしていた頃、船舶代理店で
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コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(18、終わり)=いちばん近い東洋――アラブ移民
通る人も立ち止まる人も男ばかりである。たった一人の女もいない。なんだかハーレムのようだ。違う男、同じようなベルイートの、ダマスコの、エレサレムの、金髪がかったシリア人。桑とタバコがにおう男たちはゴム
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コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(17)=いちばん近い東洋――アラブ移民
それは、ロテリア宝くじの抽選後に、アントニオ・プラド広場のカフェー当たりから始まる。 髭。ひげ。ヒゲ。舗道には瞑想的なひげ。戸口には何かを期待するようなひげ。模倣大理石のカウンターでは、熱いコーヒー
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県連ふるさと巡り ペルー=115年経て受け継がれる日系魂=(4)=戦中の苦境に耐えた日本移民=〃うちなーんちゅ魂〃今も
1899年に開始され、今年115周年を迎えたペルー日本人移民。19世紀末当時、同国では海岸地方におけるさとうきびと棉花の大規模プランテーションが主要産業として国の発展を支えていた。 1854年の奴隷
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コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(16)=素朴な人たち――ポルトガル移民
ブラガンサ・・・長くて強くて絵画的な名称が多い。トーレ・デ・モンコルボ、ミランダ・ド・ドイロ、マセド・デ・カヴァレイロ、カラゼダ・デ・アンシオン、フレイショ・デ・エスパダ・アンシオンなどなど。 そし
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コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(15)=素朴な人たち――ポルトガル移民
肌を刺す朝の空気のなかを鈴がなる。 恵まれた人の住むお屋敷の門の白いエプロン姿の間を通って行く。まるで儀式のように厳かにヤギの群れが行く。ちゃいろ、しろ、ぶち。ひづめを石畳にたてながら。――ドアマッ
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県連ふるさと巡り ペルー=115年経て受け継がれる日系魂=(3)=節目の度に成長を続ける=洗練されたペルー料理に舌鼓
見学後、大ホールに招かれ歓迎昼食会。岡田フランシスコ会長は歓迎の言葉を述べ、「ペルー日系人協会は国内日系団体の中でも最大です。これからの使命は第二の団体である婦人会と共に、日系社会の後押しをすること
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県連ふるさと巡り ペルー=115年経て受け継がれる日系魂=(2)=〃噂の会館〃を初訪問=堂々たる施設に驚嘆の声
半時間ほどすると、噂のペルー日系人協会会館が見えてきた。出発前、「とにかく立派」と数人から聞いていたその会館は、数百メートル離れた大通からも認めることができ、かなりの存在感を放っていた。バスを降りた