連載
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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(11)=天皇陛下に拝謁、名士と会す=松原枠認可発表前に会社設立
松原は移住者募集や準備のため、1952年11月に一時帰国した。《松原氏夫妻は母国を訪問、畏れ多くも、天皇陛下に拝謁仰せ付けられ、朝野の要人、名士と会して、ブラジル移民計画を完遂した。翌年七月八日、ド
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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(10)=反感持つサンパウロ州の有力者ら=カテテ宮にも頻繁に出入り
松原耕地にはサンパウロ州知事が待っており、実際に会談しているのに、1952年10月7日付エスタード紙は4面で《政治的目的なし》と断定した。《ルカス・ガルセス氏はその場に居たが、だからと言って政治的意
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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(9)=ヴァルガスが耕地を訪問=「政治目的なし」と訝るエ紙
52年10月8日付パ紙は「大統領、松原耕地訪問」の見出しで、《ヴァルガス大統領は五日午前、特別飛行機でマリリア駅アヴァエンカ区の松原安太郎氏の耕地内に設けられた飛行場に到着、これを待ち合わせていたガ
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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(8)=最後までサンパウロ州に拘った松原=52年8月に遠隔州に許可
1951年10月5日パ紙は《「時の人」松原安太郎氏に「移民」を聞く》《有望なのは麻州‥》との3段見出しで報じた。《日本移民大量誘入が話題になるにつれて、マリリア在住の松原安太郎氏の名がクローズアップ
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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(7)=「今度は君の頼み聞きたい」=日本人にもう一度機会を!
終戦直後、ヴァルガスが軍部に追い落とされた流れを受け、反ヴァルガス派はここぞとばかりに勢力を結集して保守派のUDN(民主連合)を組織し、ヴァルガス派の革新勢力「PSD(社会民主党)とPTB(ブラジル
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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(6)=軍に迫られヴァルガス退陣=不遇な時代を支えた友人
大戦中、ブラジル遠征軍(FEB)はは連合国側について、イタリア戦線で独裁政権の枢軸国と戦って多くの血を流した。1945年5月7日、ナチス・ドイツの降伏でようやく勝利した。しかし自国に帰ってみたら、そ
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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(5)=孤独な「二頭引き馬車政治」=政局均衡に多様な勢力取込む
ヴァルガス大統領は、国家統一を最優先してブラジル精神高揚を図り、現在につながる「ブラジルの骨格」を作った人物と言われる。37年に彼のクーデターによってエスタード・ノーボ(新国家体制)という独裁政権が
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『米州の一奇跡、パラグァイ国』=存在感示した宇国ムヒカ大統領=(下)=坂本邦雄
因みにウルグァイと亜国との間での最も象徴的なイザコザは、河口でラプラタ河となる両国の国境ウルグァイ川上に、ウルグァイが建設したパルプ工場の、ヘーグ国際司法裁判所にまで亜国に告訴された河川汚染問題だ。
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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(4)=「彼の鍬は普通の2倍ある」=渡伯20年後には大農場主に
1918年7月末から約50日間に渡って日本では米騒動が起き、全国に波及した。松原の故郷和歌山県では、民衆を扇動した罪で二人が死刑判決を受けるなど荒れた世情があった。それを受け、食糧難にあえぐ日本政府
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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(3)=マリリア市創設期の二人=ヴァルガス「ぜひ会いたい」
マリリアの町自体は1926年12月にピラジュイ司法区カフェランジア郡所属「マリリア管区」となり、翌27年4月1日に市制を敷いた。戦前移民・小針一(こばりはじめ)の手記「マリリア市の興りと邦人初期の移