連載
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島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一=(1)=ブラジル近代史の現場に=118人死亡の大反乱の舞台
サンパウロ州海岸北東部にあるアンシェッタ島は逃亡絶対不可能な〃監獄島〃として、奇しくも第1回移民船笠戸丸と同じ1908年に創設され、最初は軽犯罪者が送り込まれた。それが、ヴァルガス大統領時代の1930
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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(15・終わり)=サンセバスチャン=勝ち負けから逃れ海岸部へ=次のペルー行きで再会約束
ニッケイ新聞 2014年4月16日 原発事故で損なわれた故郷に対する、ありがちな感傷的コメントを期待した記者の期待を見事に裏切り、永井文子さんは「私は小さい時に来ているから、何も分からんのよね。息子が
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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(14)=サンセバスチャン=霜の降りない温暖地で野菜=車エビ漁や海苔生産で栄える
ニッケイ新聞 2014年4月15日 天井がなく、梁や屋根裏むき出しの会館には地方の趣が漂っている。裏にはゲートボールコートが3面あるが、舞台には備え付けのマイクもなく、カラオケ教室もな
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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(13)=カラグアタツーバ=ミニスーパー経営の黒沢さん=当地唯一のウナギ養殖場跡地
ニッケイ新聞 2014年4月12日 1962年渡伯のグアタパラ移民、黒沢公義さん(60、茨城)は、67年からカラグアに住み、19年間のバナナなどのフェイランテ生活を経て、96年頃から商店経営に転じ、現
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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(12)=カラグアタツーバ=山津波の惨劇で日系にも被害=奥地から終戦直後に出る流れ
ニッケイ新聞 2014年4月11日 「何事かと思って山を見たら、見渡す限りの山肌が真っ赤になっていた。あの光景が忘れられない」。由井誠吉会長は同地最大の惨劇を思い出す。カラグアタツーバといえば、196
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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(11)=カラグアタツーバ=聖アントニオの見守る町=観光で栄える海浜10万都市
ニッケイ新聞 2014年4月10日 一行はその後、海岸山脈を下ってカラグアタツーバ(以下、カラグアと略)に降り、同文化体育協会(由井誠吉会長)の会館で午後5時半から一時間ほどの短い交流会をした。 カラ
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軍政開始50年と日系活動家=独裁政権と闘った若者たち=(下)=437人が拷問死、行方不明=大事な役割担った日系活動家
ニッケイ新聞 2014年4月9日 「軍事クーデター50年・独裁政治の撲滅を」式典の直前には、拷問の死者や行方不明者を役者が演じ、まるで死後の世界からメッセージを送っているかのような映像が20人分ほど流
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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(10)=ピンダモニャンガーバ=「安田から日本人の歴史始まる」=長男は日系初の商工大臣
ニッケイ新聞 2014年4月9日 日本から米作専門技師を呼び、《日本式水田で日本式の一等米を生産した》という。カンピーナス東山農場の山本喜誉司がこちらの農場長も兼務し、付近の農地を買い集め、一時は25
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軍政開始50年と日系活動家=独裁政権と闘った若者たち=(中)=軍事革命かクーデターか=反ジャンゴ多かった日系農家
ニッケイ新聞 2014年4月8日 三宅ダルシさんが捕まった翌月、1972年2月19日に長野県軽井沢町で連合赤軍が浅間山荘事件を起こし、人質をとって立てこもった。熱い政治の季節だった。 独自の視点から『
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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(9)=ピンダモニャンガーバ=念願の日本語学校を実現=安田家三男が挨拶に登壇
ニッケイ新聞 2014年4月8日 「創立期には日本人がほとんど全員入会した。青年会も盛んだった。でも父兄だけでは先生を雇う力がなかった。1964年に会館ができた後、68年から4年間、週2回我々が交代で