連載
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (114)=最後の製茶工場を守る天谷=〃復活の日〃信じて耐える
ニッケイ新聞 2014年1月30日 大きな池のほとりに立つ洋風豪邸は、まるでインテリオールのファゼンデイロ邸宅そのものだ。グローボTVのノベーラから飛び出してきたようなお屋敷の裏には、かつて住んでいた
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (113)=紅茶輸出激減した90年代=全伯で唯一残る天谷製茶工場
ニッケイ新聞 2014年1月29日 朝6時すぎ、見渡す限りのお茶畑には、朝モヤとも朝霧ともつかないシトシト雨が降り注いでいた。緩やかな丘一面に等高線に沿ってお茶の畝が延々と続く。「昔はこんな光景は当た
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (112)=挑戦の始まり、ミナスへ転身=盛和塾全国大会で最優秀賞に
ニッケイ新聞 2014年1月28日 渡伯2年後に突然、父が病気で亡くなった――。山田勇次は「20歳で独立し、リベイラ河沿いにバナナを栽培した。日本への旅費を作ることだけが目的でバナナ作った。小さい時に
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (111)=〃バナナ王〃が誕生するまで=元移民老人「戦争ない国」
ニッケイ新聞 2014年1月25日 レジストロなど南聖地方は現在でもサンパウロ州産バナナの50%を叩きだす主要生産地だ。小野一生さん(かずお)は「戦後バナナで有名になった。曲尾良顕●が同地方随一といわ
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (110)=80周年で復活する文化活動=〃日系魂〃込める大鳥居建設
ニッケイ新聞 2014年1月24日 清丸清が世話したサッカー留学生の一人、屋良充紀(やらみつとし、43、神奈川)=神奈川在住=は、帰国後の1995年に横浜でサッカー学校『エスコリーニャFC』を立ち上げ
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (109)=サッカーチーム創立に関わる=留学生世話して日伯交流促進
ニッケイ新聞 2014年1月23日 野球を青少年育成の柱にしてきた同地だが、プロサッカーチーム創立にも珍しく日系人が関係している。移民史上で最も有名な日系人創立のサッカーチームはパラナ州の「松原サッカ
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (108)=筆禍事件起こした石川達三=実は『植民』編集部に勤務
ニッケイ新聞 2014年1月22日 海興が植民希望者を集めるために戦前に発行していた雑誌『植民』編集部に、片岡松枝は編集主任として勤務していた。松枝は1923年に青山女学院卒業後、東洋大学専門部に入学
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (107)=海興職員の父「情熱もう一度」=何も語らぬ母の秘めた想いは
ニッケイ新聞 2014年1月21日 同概要によれば、70年代に始まった『リベイラ河流域総合開発計画』の総工費は1億2630万ドルという壮大なものだった。パ紙82年12月21日付けでも「リベイラ流域で田
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (106)=青柳以来の〃米の夢〃再び=リベイラ河流域総合開発計画
ニッケイ新聞 2014年1月18日 入植60周年(1973年)に際して、愛知県犬山市にある世界中の建築物を集めたテーマパーク「明治村」から、同祭典委員長だった山本周作宛てに、ブラジル最初の入植地の住宅
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (105)=強かかつしなやかな生き方で=町の経済を支える紅茶産業
ニッケイ新聞 2014年1月17日 山本周作の人柄を尋ねると、金子国栄は「長い間その下で働き、失敗したこともあったけど、山本さんから怒鳴られたことは一度もない。すごい人格者だった。山本さんには、顔をみ