連載
-
日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (104)=叩き上げの山本、世界相手に=学歴なくとも近代化を先導
ニッケイ新聞 2014年1月16日 山本周作(1923―2001)は和歌山県那賀郡出身で、1930年に両親に連れられ、女兄弟らと渡伯した準二世だ。目立った学歴はないが「日ポ両語が達者で、どちらで演説さ
-
日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (103)=紅茶産業に新潟県人の系譜=越佐郷土会次々に送り込む
ニッケイ新聞 2014年1月15日 「高校時代の親友が事故で死んでいなかったら、僕はブラジルには絶対に来ていなかったと思う」。戦前移民の大半が農業から始めたが、戦後移民の金子国栄(72、新潟)=13年
-
日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (102)=こだわりのパステル作り30年=「癌を病む父は家族のウソも飲む」
ニッケイ新聞 2014年1月14日 「サンジョアキンに入ってリンゴ作りをやってみたかった」。そう振り返るのは荒井貢(みつぎ、80、柳名「荒井花生」はないき)=イグアッペ在住、13年3月13日取材=だ。
-
日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (101)=藺草の元祖吉村にカブラル章=南米最古の灯籠流し54年開始
ニッケイ新聞 2014年1月11日 「藺草の元祖」と呼ばれているのは、1928年に福岡県糸島郡からセッテ・バーラスに入植した吉村茂だ。32年にいったん帰国し、34年に再渡伯する際、藺草苗7キロ余りと七
-
日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (100)=一世風靡したゴザ産業勃興=戦後移民の活躍始まる50年代
ニッケイ新聞 2014年1月10日 「毎朝のように9時頃、特攻隊の飛行機が南洋に向かって飛んでいく。屋根に登って、オヤジと一緒に手を振ってそれを見送るのが日課でした」。レジストロ百周年実行委員長の山村
-
日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (99)=カフェ帝国に〃紅茶の都〃築く=「ブラジル茶」として輸出
ニッケイ新聞 2014年1月9日 終戦後すぐにインドなどで紅茶生産が再開して国際価格が下落し、一気にお茶恐慌が訪れた。《一キロ十三ミルになり、採算がとれなくなってしまった。一キロ十五ミル以下では生産費
-
日本で育つ日系国際人材=岐阜のブラジル人学校HIRO学園=(下)=「W杯の仕事も来ている」=デカセギ子弟のエリート世代
ニッケイ新聞 2014年1月9日 サンパウロ大学観光学科に通う松崎ビアンカ亜由美さんは、サンパウロ州サンジョゼ・ド・リオ・プレット生まれ、父は二世、母は非日系人だ。3歳の時、デカセギに行った両親と訪日
-
日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (98)=飛躍的に発達するインフラ=上下水道、電化、電話整備も
ニッケイ新聞 2014年1月8日 青柳育太郎が一世紀前に「必ず南部は大発展する。イグアッペ植民地は、そことサンパウロ州をつなぐ交通の要衝になる」と見込んだのは当たった。ただし、発展のスピードはその見立
-
日本で育つ日系国際人材=岐阜のブラジル人学校HIRO学園=(上)=当地難関大への進学者続々=「教育の質が何より大事」
ニッケイ新聞 2014年1月8日 岐阜県大垣市にある学校法人「HIRO学園」は2000年の開校以来、名門サンパウロ大学(USP)への合格者を毎年出すブラジル人学校だ。07年度時点では12県に88校存在
-
日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (97)=続々と生まれる日系政治家=転機となった1960年前後
ニッケイ新聞 2014年1月7日 写真=郡会議員当時の柳沢嘉嗣ジョアキン、那須野秀男、前地豊(写真はみな『50周年記念写真帳』13頁) イグアッペ植民地と呼ばれた地域(桂、レジストロ、セッテ・バーラス