連載
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (96)=戦後に呼び寄せ組合を創立=サンパウロ州移民再導入の先駆けか
ニッケイ新聞 2014年1月4日 いち早く連合青年会を1947年に発足させたのは、子弟教育が行き届いていないという焦りもあった。《レジストロ地方の子供が次第にカボクロ化してゆきつつあるのは事実だ(中略
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (95)=勝ち負け最中にRBBC創立=コロニア最古の連合青年会
ニッケイ新聞 2014年1月3日 〃お茶の都〃として名を馳せた水郷レジストロだが、戦後にコロニアで編纂された移民史からは、最初の永住志向集団地であるイグアッペ植民地やその創立者・青柳育太郎という存在は
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (94)=終戦7年目に敗戦を公言=「この道を通ったら殺す」
ニッケイ新聞 2013年12月19日 セッテ・バーラスにいた山根善信(よしのぶ)は「1946年後半、何かの用事でサンパウロに出た時、ドップスに捕まったことがある。タピライを通るバスで出て、ルス駅の近
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (93)=「日本負けた」と馬鹿にされ=桂植民地にも勝ち負け余波
ニッケイ新聞 2013年12月18日 1945年6月6日、ブラジル政府はついに日本に宣戦布告した。同年5月にベルリンが陥落し、欧州戦線は終息。日本も沖縄戦をしている最中で、降伏は時間の問題と見られて
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第3回南米婦人会の集い=〃りんごの里〃で交流を=(終)=盛んに交流、充実の笑顔=涙の合唱、再会を約束
ニッケイ新聞 2013年12月17日 翌日は午前8時半から、日本勢3人による「農産品加工講習会」なる料理教室、手芸品紹介が行われた。箱ずし、こんにゃくカツ、即席味噌作り、エコバッグ、三角巾、折り紙で
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (92)=実は不可能だった日本人収容=ドップス送り居なかった謎
ニッケイ新聞 2013年12月17日 レジストロに1917年から23年まで海興職員として駐在した原梅三郎は《あるときアメリカの〃シカゴ・トリビューン〃の記者がレジストロに遊びにきたことがあったが、そ
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第3回南米婦人会の集い=〃りんごの里〃で交流を=(3)=日本の取り組みに関心高く=サンジョ婦人会がおもてなし
ニッケイ新聞 2013年12月14日 ADESCからは栖原マリーナさんらが「コチア組合崩壊当時、75支部、1500人ほどの婦人部員がおり、ADESCはすぐ結成された」と創立経緯を話し、「現在12支部
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (91)=岡本に亜国から転住の誘い?=サンパウロ州農業生産の6割占める
ニッケイ新聞 2013年12月14日 トリブナ43年7月16日付けには《陸軍予備役将校が海岸部の警察署へ》との小さな記事が出た。イグアッペ郡にも触れており、国家保安局のコリオラノ・デ・ゴイス(Col
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (90)=立ち退き令から特別に除外か=なぜか日系集団地を市制化
ニッケイ新聞 2013年12月13日 小野一生は強制立ち退き関し、特に詳細な記憶を持っている。「戦争中、海岸部立ち退き命令が出たとき、5人の地元ブラジル人政治家が、リオのヴァルガスを訪問して、『レジ
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第3回南米婦人会の集い=〃りんごの里〃で交流を=(2)=各国代表者が現状を報告=熱心に耳傾ける参加者ら
ニッケイ新聞 2013年12月13日 「成人式や沖縄相撲の角力大会、高齢者福祉事業に参加・協力し、食品提供などの活動をしている」と説明するのは、ボリビア・オキナワ移住地の比嘉シズエさん。今年入植59