連載
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (81)=「南聖の郷土を救う紅茶革命」=大英帝国の裏かき種持ち出し
ニッケイ新聞 2013年11月30日 1930年革命で共和国臨時政府の大統領となったヴァルガスは、憲法を停止し、国産品の発展を図るために輸入品制限令を出した。その中にリプトン紅茶も入っていたことが思
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「LINE」がブラジル進出=担当窪島氏に手応え聞く=(上)=無料通話・チャット機能=3カ月で登録1千万人に匹敵
ニッケイ新聞 2013年11月29日 スマートフォン(多機能携帯電話)向けに作られた日本製のコミュニケーションアプリ「LINE(ライン)」は、インターネット上での配布が始まって2年足らずの間に世界2
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (80)=珈琲、カンナ、養蚕、果実=基幹作物探して試行錯誤続ける
ニッケイ新聞 2013年11月29日 基幹作物が見つからず、同地では苦しい生活が続いた。脱耕者が続々と出る中で、青年らはその不安な想いを野球にぶつけたのかもしれない。 松村昌和は1930年前後の様
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (79)=全伯一の野球チーム育てる=無敵ミカドに辛勝し優勝杯
ニッケイ新聞 2013年11月28日 安中末次郎一家がバストスへ転住する少し前、後に大臣を輩出する一家もレジストロから移っていた。植木茂彬の父酉二(ゆうじ、長野)だ。茂彬は『サンパウロ市生まれの二世
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ハイカラさん海を渡る=移民画家 大竹富江の一世紀=(6)=日系人芸術家との親交=「百歳なんて気がしない」
ニッケイ新聞 2013年11月28日 仕事の上ではブラジル社会が主な舞台だった彼女も、私生活ではもちろん日系画家との親交も楽しんでいた。 70年代ごろに富江さんと親しく付き合っていた彫刻家の豊田豊
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (78)=バストス写真帳後、引揚げ=各地で貴重な写真残す一家
ニッケイ新聞 2013年11月27日 1933年当時、白米一俵12ミル、牛肉1キロ800レース、ピンガ1リットル1ミルの時代に、12×18(6枚)の写真代が28ミルもした。だから当地で印刷したら高く
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ハイカラさん海を渡る=移民画家 大竹富江の一世紀=(5)=日系社会では異端児か=神経太く〃大竹時間〃貫く
ニッケイ新聞 2013年11月27日 大竹富江は日系社会の異端児だ。ある部分で肩を寄せ合うように徒党を組んで生きた、多くの戦前移民とは対照的な存在だ。彼女を知る人は一貫して、「ブラジル社会で生きてい
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (77)=南聖でコロニア初の写真帳=馬にカメラ積み小道抜ける
ニッケイ新聞 2013年11月26日 レジストロ植民地は1927年時点で、全面積1万7636ヘクタールを557ロッテに分け、五つのバイロ(部)に区分し、うち510が埋まっていた。約8千人の人口のうち
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ハイカラさん海を渡る=移民画家 大竹富江の一世紀=(4)=プロへの道をまっしぐら=とんとん拍子で出世街道へ
ニッケイ新聞 2013年11月26日 重厚な作品集を繰りながら、「少しずつ細部を取り除き、骨組みだけを描き始めた。事物のエッセンスだけを描いているのが面白いところ」と作品の魅力を語るリカルドさんの言
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ハイカラさん海を渡る=移民画家 大竹富江の一世紀=(3)=「私は夢を追います」宣言=40歳遅まきのスタート
ニッケイ新聞 2013年11月23日 次男のリカルドさんは好奇心の旺盛そうな目に、エネルギッシュな話しぶり。「セニョール」と呼ぶと、「今何ていった? ヴォセでいい」と訂正される。年を重ねても溌剌とし