連載
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (59)=北パラナへ移転する流れ=徒歩で海岸山脈を越えて
ニッケイ新聞 2013年10月3日 沼田小一郎(信一の父)は北パラナ視察の帰りに、道端でスイカを売っているのを見て「家族に食べさせたい」との一念から買い、それを担いで海岸山脈を越えて割らずに届けた。
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(91)
ニッケイ新聞 2013年10月3日 金品以外に、性的被害も出ていた。 加藤は色情狂であった。 川崎や島崎という女性(農場支配人の妻)が、宮様に奉仕する女性を、同志の娘の中から選び、加藤に仕えさせ
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (58)=地図の上の一本の線=「鉄道通って便利になる」
ニッケイ新聞 2013年10月2日 レジストロが満植になるとリベイラ河にそって18キロほど上流に、1920(大正20)年からセッチ・バーラス植民地が開設された。レジストロから河蒸気で4時間もかかって
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(90)
ニッケイ新聞 2013年10月2日 加藤拓治と川崎三造は、数年前にツルんで動き始めていた。 川崎が、各地の戦勝派の前に姿を現し、自身を「日本の特務機関員」と称し、 「近く日本軍が、移民を迎えに来る
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (57)=大戦余波で鉄道延長中止=見通し困難な当地の発展
ニッケイ新聞 2013年10月1日 後に海外興業ブラジル支店長(1930—33)まで務めた白鳥尭助(あきすけ)は、イグアッペ事務所長時代の1919(大正8)年3月21、28日付け『伯剌西爾時報』に、
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(89)
ニッケイ新聞 2013年10月1日 その後も、桜組挺身隊は、奇矯な言動を続けた。 サンパウロの中心街に、白襷に白鉢巻姿で現れ、意味不明の日本語のパンフレットを配ったり、サント・アンドレでデモをした
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(85)
ニッケイ新聞 2013年9月25日 南洋の島の架空の土地の分譲は、既述の臣道連盟の再移住の話が広まる中で始まった。 詐欺師たちは、日本軍が占領した島に造成中の植民地だと言って、いかにも、それらしく
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(86)
ニッケイ新聞 2013年9月26日 映画『南米の曠野に叫ぶ』は、その後、忘れられていたが、驚くことに30年も経った1980年代、ビデオ・カセットになって、コロニアに出回った。次々とコピーされて……。
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(87)
ニッケイ新聞 2013年9月27日 しかし、右の説の「在米国の日本商社・銀行が、巨額の円を所有していて、それをブラジルに運んだ」という部分であるが。── その商社や銀行は、どういう経緯で、何のため
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (56)=独系軍人に提供喜ばれる=革命から生れた岡本紅茶
ニッケイ新聞 2013年9月28日 日本人向け緑茶のみでは市場が小さすぎ、かといってブラジル人向けなら紅茶を製造しなければ、そのためには機械化が必要という段階になっていた。 《一九三二年の革命が勃