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ベ国領で先住民8人死亡=新型インフル感染の犠牲者=困難な辺境部の医療活動

ニッケイ新聞 2009年11月6日付け  ブラジルと国境を接するベネズエラ領内の先住民ヤノマミ族8人が新型インフルエンザで死亡と5日付バンジニュースやG1サイトが報じた。  非政府団体(NGO)サヴァイヴァル・インターナショナル(以下、SI)が7人死亡と報告後、ベネズエラ政府が8人と発表し直したもの。  ベネズエラ、ブラジル両国 ...

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県連ふるさと巡り=アマゾン80周年式典へ=過去最多の211人参加=連載《終》=混ざらない謎の合流点=日系進出企業が続々と

ニッケイ新聞 2009年11月6日付け  マナウス市で慰霊碑を参拝後、ふるさと巡りの一行は碑の近くにある「アマゾン自然科学博物館」(橋本捷治代表)を見学。日本移民80周年の1988年に礼宮文仁親王殿下(当時)ご出席のもと開館した、国内で数少ない民営自然科学博物館だ。貴重な蝶や昆虫の標本、魚の剥製のほか、巨大な水槽ではピラルクーが ...

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県連ふるさと巡り=アマゾン80周年式典へ=過去最多の211人参加=連載《5》=マナウス=活気溢れる成長都市=慰霊碑に花たむける

ニッケイ新聞 2009年11月5日付け  西部アマゾンの中心地マナウス。1669年にポルトガル人によって開かれ、19世紀後半にゴム景気を謳歌したこの町は、1967年のゾナ・フランカ(免税地域、Zona Franca)設置以来、今も企業進出が続く。20世紀前半のゴム衰退後、企業進出時代までの隙間を埋めたのは高拓生らに代表されるジュ ...

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レヴィストロース逝く=ブラジルを愛した仏人類学者=USP開学時の教授の1人

ニッケイ新聞 2009年11月5日付け  20世紀を代表する文化人類学者で思想家のクロード・レヴィストロースが死去したと3日に公表され、4日付伯字紙などが一斉に報じた。  1908年11月28日にユダヤ系フランス人の家庭に生まれ、パリ大学で哲学などを専攻。フランスで高校の哲学教師として奉職中、恩師からサンパウロ総合大学(USP) ...

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県連ふるさと巡り=アマゾン80周年式典へ=過去最多の211人参加=連載《4》=ベレン=平和劇場や市場を散策=「二、三世の時代ですね」

ニッケイ新聞 2009年11月4日付け  ベレン滞在3日目も午前中、平和劇場(Teatro da Paz)へと向かった。道すがら、栃木県人会長の坂本アウグスト進さん(64)と話す。  終戦直後1945年8月15日にサンパウロ州グァラサイで生まれたという坂本さん。昨年までサンパウロ市で薬局を経営、ふるさと巡りに参加するのは初めて。 ...

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押し花アート展示会=7日から15日まで=自然をテーマに400点

ニッケイ新聞 2009年11月4日付け  「第3回押し花絵の展覧会」(巽ミリアン主宰)が7日から15日まで「Salao Nobre da Igreja Nossa Senhora do Libano」(R. Tamandare, 355, Liberdade)で開かれる。時間は午前10時から午後6時まで。  今回は、温暖化が進む ...

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県連ふるさと巡り=アマゾン80周年式典へ=過去最多の211人参加=連載《3》=「世代交代の節目に」=ベレンでアマゾニア祭り

ニッケイ新聞 2009年10月31日付け  マンゴー並木が延々と続くアマゾン河口の港町ベレン。19世紀中頃から20世紀前半にかけてゴム積出港として栄え、今は人口150万人を有する東部アマゾンの中心都市だ。  1616年にマラニョン州サンルイスから移ったポルトガル人により開かれたこの町には、今も外部からの侵略に備えた要塞の跡が残る ...

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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【アマパー編】=《終》=「作っても盗まれる」=バイシャーダからの退去命令

ニッケイ新聞 2009年10月31日付け  「トマテなんかもね、青枯れ病を防ぐために自生するジュルベバ(ナス科の植物)を植えて、それに接木するとよくできるんですよ。一日に500キロを収穫したこともありました」と柴山さんは、当時の景気を振り返る。  家族がマタピーから移ってきた。須美枝さんもその一人。  「10家族くらいいましたよ ...

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県連ふるさと巡り=アマゾン80周年式典へ=過去最多の211人参加=連載《2》=次々に旧友と再会=ここから巣立った

ニッケイ新聞 2009年10月30日付け  9月16日、トメアスー入植80周年式典当日の朝、第一回移民が到着した桟橋へ出かけた。ホテルから5分ほどの距離。ちょうど一隻の船が停まり、野菜や海老などの食品を下ろしていた。すぐそばには、かつて使用していたと思われる桟橋も。川の先は今も鬱蒼とした森が広がり、移民が到着した80年前と変わっ ...

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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【アマパー編】=《4》=柴山さん「日本は希望なかった」=第2回マタピー移民=柴山満義・須美枝兄弟=肥沃な川沿いで野菜作り

ニッケイ新聞 2009年10月30日付け  「1946年に今の北朝鮮から、38度線を越えて一カ月歩き通しで引き揚げて、無一文でしょう。学もないし、日本に基盤がないから、将来に希望がもてなかったですよね」  1954年の第2回マタピー移民、柴山満義さん(76、京都)は、そう移住時の思いを振り返る。  父八百三さん、長兄真蔵さん(当 ...

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