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ミナス日本祭り=催し多彩、2万人が来場=初の120周年記念展覧会も

獅子舞の登場に会場も大喜び(写真撮影=Alessandro Carvalho)

 ミナス・ジェライス州ベロ・オリゾンテのエキスポ・ミナスで先月28日から3日間、「日ブラジル交樹立120周年」をテーマに「第4回日本祭り」が開かれた。終日様々な催しが繰り広げられたほか、JICAブラジル事務所が展覧会を開催し120周年を祝った。2万人超が来場し、日本文化を堪能した。  同祭は、元ウジミナス製鉄社長でミナス総領事館 ...

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柔道=赤道直下で〃寒稽古〃再開=10年ぶりに北伯3都市で=ポッソスの松尾三久さん=原石求め150人を指導

マカパで指導した生徒らと記念撮影に納まる松尾さん(最前列の中央右)

 ミナス州ポッソス・デ・カルダス在住の柔道家、松尾三久さん(72、東京)が1月中旬、10年ぶりの寒稽古巡業を行なった。1990年代にはブラジル各地からの要望を受け柔道指導を展開するも、経費増などを理由に休止していた。しかし昨年、家族の協力を機に再開する目処が立ち、赤道直下のアマパー州都マカパ、アマゾン河対岸のパラー州都ベレン、同 ...

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外交120周年=親善大使にジーコ&マルシア=日本で記念ミュージカルも

アギアのパレードに登場したジーコ氏

 日伯両国が外交関係樹立120周年を迎えるにあたり、サッカー元日本代表監督のジーコ氏(61)と日本で活躍するタレントのマルシアさん(46、三世)が親善大使に任命された。委嘱期間は今月12日から12月31日まで。  ジーコ氏は1991年、住友金属工業蹴球団(現鹿島アントラーズ)に入団するため初来日。93年に発足した日本プロサッカー ...

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アマゾニア日伯援護協会=50年のあゆみを刻んで=ベレンで記念式典盛大に

関係者で鏡割り

 パラー州都ベレンの「アマゾニア日伯援護協会」(八十島譲エジソン会長、会員数約750人、以下「援協」)が創立50周年を記念し、先月31日、汎アマゾニア日伯協会神内講堂で記念式典を開いた。1965年1月、厳しいアマゾン開発に携わる日本人移民を福祉・医療面から支援するべく「アマゾニア日本人移民援護協会」として発足、福祉・医療サービス ...

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地元と共にたゆまず歩む=アマゾニア病院の歴史=アマゾン移民のよりどころ=巡回診療で開拓支え

アマゾニア病院

 広大なアマゾン地域を回る初の巡回診療は59年、移民の生活・営農指導を担当していた日本海外協会連合会アマゾン支部(海協連、52年開設)の依頼を受け、パリンチンス在住の開業医だった神田錬蔵医師よって実施された。 『協会20年史』にあるその時の記録には、「数年ぶりに邦人医師による健康相談は、多大の反響を与え、それだけでも病気が癒った ...

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病院と共に半世紀歩む=産婦人科のピオネイロ

伊藤澄雄医師

 「50周年を迎えられることを誇りに思います」―そう柔らかな物腰で語る伊東澄雄医師(79、二世)は、アマゾニア病院に勤務して49年になる、同病院の創成期を支えた人物だ。 国立パウリスタ医大を1962年に卒業し、外務省の初の国費留学生として慶応大学の産婦人科に2年間勤務。留学後の義務研修として、「まともな設備も日本政府の支援もなか ...

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ニッケイ新聞の本『一粒の米もし死なずば』紹介

『一粒の米もし死なずば』

注文は無明舎までhttp://www.mumyosha.co.jp/docs/14new/hitotubu.html [su_heading size=”16″ align=”center”]日本で出された主な書評や紹介記事[/su_heading] 《〝面白い〟というと語弊がある ...

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大アマゾンで生命の浄化?

 取材のため、アマゾン河口の町ベレンを訪れた。飛行機で3時間半、日本人の感覚からすれば外国旅行並みの距離感だ。機内から滑走路に降りるとムッとした熱帯の空気がまとわりつく。太陽が顔を出すと、まるで炙られている気分だ。人口140万人の大都市だが、生命を育む大アマゾンのパワーに満ちている▼朝の涼しい内にヴェル・オ・ペーゾ市場を訪れた。 ...

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三木下議が視察で来聖=ZFM内に博物館建設を

来社した三木氏

 マナウス市議を5期連続で務める三木正美氏(社会自由党・PSL・アマゾン州、52)が『マナウス自由貿易エリア(以下、ZFM)における博物館設立プロジェクト』実行に際し、サンパウロ市バラ・フンダ区にあるラ米記念館のシステムを視察するため来聖し、先月30日午後、本紙を訪問した。 ロライマ州ボア・ヴィスタ市出身の三木氏はマナウス市に5 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=26

「その頃、アマゾン調査団という日本人たちがボリヴィア国境までやって来たんだ。その団長というのが父の親戚だった。よく調べてくれたもんだよ。わしは、その団長に連れられて日本へ来た。その団長をわしは父と呼ぶようになって、日本の学校を出た。……まあそんなところだよ……」 私は東京練馬にある、日本力行会の図書室で「秘露棉花移民史」でそのこ ...

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