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デカセギ 関連記事

大阪・サンパウロ市姉妹都市=親善大使 奥泉さんが帰国=「変えがたい経験得た」

市役所や姉妹都市協会を表敬訪問した奥泉さん(左から3人目)

 昨年45周年を迎えた大阪・サンパウロ姉妹都市提携記念事業の一環とし、親善大使として3月9日から2週間訪日した奥泉みどりさん(19、三世)が報告のため来社した。 生まれはサンパウロ市だが、4歳から小学校5年まで愛知県豊川市で過ごしたデカセギ子弟。昨年の日本語センター主催スピーチコンテストで優秀賞を獲得し、親善大使として訪日する機 ...

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「全て事実。後悔している」=デカセギ二人組殺人事件=被告一人が供述、犯行認める=代理処罰申請6件目に進展

 【既報関連】東京都葛飾区で2001年6月4日未明、日系人の男二人が暴力団員に雇われ、無職の川上芳考さん(よしたか、当時33)を、自宅に押し入り拳銃で射殺し、妻に重傷を負わせたとされる事件の被告人尋問が5月25日午後2時半頃、サンパウロ市のバーラ・フンダ刑事裁判所で行われた。被告二人はデカセギで訪日していた日系三世で、犯行の約2 ...

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駐在員をテーマーとするショート・ショート連作=「ブラジル諸人来たり」ブログより許可をえて抜粋=(4)=オードリー、それともカヨコ

(写真素材ぱくたそ[モデル:Lala]より)

 「アウドリー」という名前を知ったのは、佐竹健一がブラジル支社に就任して本年ほどし、事務所から工場勤務になったあとの事だった。 どこかオードリー・ヘップバーンを思わせる名前だったので興味を覚えたのだ。工場長の日系のトミオさんによれば、彼女のフルネームは、アウドリー・ジバ・カヨコ・アキムラ・ナカオという長ったらしい名前で、現実の彼 ...

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アンシェッタ島に平和の像を=戦後70周年と統合の象徴=血塗られた歴史に〃光〃を=ウバツーバ市長が提案

2日にアンシェッタ島を視察した一行

 日伯外交120周年と終戦70周年を記念した「平和のモニュメント」をアンシェッタ島に作りたい――サンパウロ州北部海岸部のウバツーバ市の諸見里マウリシオ市長(50、三世、PT)が、新アイデアを提案している。戦前から脱出不可能な監獄島として政治犯や凶悪犯が収容され、終戦直後には臣道聯盟員ら170人も送られ、さらにブラジル史に深い傷跡 ...

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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第8回=ドラセーナ=太鼓で若返る文協の活動=日本人イジメを乗り越え

一行へ心のこもった言葉を贈るシオダ・セルジオ会長

 楽しそうに、溌剌と叩く清心太鼓の若者たちのエネルギーが会場に充満し、曲によって客席から大きな拍手や手拍子が混じった。 ドラセネンセ文化体育協会の和太鼓リーダーの宮口ケンジさん(25、三世)によれば、7~16歳までの四世の若者が中心。「4年3カ月前から太鼓部が始まった。日本帰りのメンバーを中心に38人が毎週2回、2時間半ずつ練習 ...

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大耳小耳

 昨年6月には8日間、ウバツーバ市中学校の生徒12人が、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)に訪問する機会があり、諸見里市長は「とても良くしてもらったと聞いている。日系としてとても誇りに感じている」と強調した。05年に創立されたという日伯協会は実は〃再興〃。同地の日本人会は60~70年代に盛んだったが、デカセギブームが起きた9 ...

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デカセギブーム再開の兆し

セント・メリー・アクス通り30番地に聳え立つ超高層ビルから見た英国ロンドンの町並み(Foto: Matt Brown)

 「風が吹けば桶屋が儲かる」ならぬ、ラヴァ・ジャット旋風が吹き荒れるとデカセギが増える?!――ブラジルの不景気に押し出され昨年から国外就労ブーム再開、主な行先は日本と英国―との興味深い記事がエスタード紙4月19日付経済面に掲載された▼英国首都北西部に二輪販売店を持つゴイアス州出身者の談話が中心だ。ロンドンでは「バイク配達便運転手 ...

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大耳小耳

 9日付本面で《「芝浦工大には感謝だけ」=国境なき科学留学生の父》と紹介した件に関し、亡くなったアウレリオさんのことが宿舎・日本力行会の機関紙1月号にも《さよならアウレリオ君、志し半ばで突然死~》との見出しで掲載されていた。漢字名は「池渕パルジギノ・アウレリオ明男さん」。亡くなった二日後の昨年11月26日に力行会談話室でお別れミ ...

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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第6回=ジュンケイロポリス=色々な形の日本との繋がり=鳥居は日本人への信頼の証

 会場で最長老の古川正さん(ただし、97、北海道)はジュンケイロポリスに20年住む。1933年に渡伯し、「弓場(勇)さんが岩谷鶏を入れた頃、バストスでビッショ・デ・セーダ(養蚕)をやっていた」という。堀江・古川・マチウデさん(58、二世)は「父はアルバレス・マッシャードに住んでいたが、資金を貯めてここに土地を買った。それから60 ...

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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第5回=ジュンケイロポリス=鉄道開通したが車の時代に=「第2のバストス」とも

 荒牧謙一さんは「1950年には日本人会はできていた。米のサッコ(袋)の上にみんなで座って相談していたのを覚えているよ」と思い出す。「60~70年代には〃第2のバストス〃と呼ばれて、日系が500家族はおり、植民地が12、3あった。だからミス・ジュンケイロポリス(美人コンテスト)には15人も候補がでた。野球や相撲も盛んだった」と往 ...

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