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デカセギ 関連記事

新宿日本語学校=江副校長が日語セで講演=モジ、ヴィトリアでも

ニッケイ新聞 2012年1月14日付け  新宿日本語学校の江副隆秀校長(61、東京)と江副信美事務局長(29、二世)=リオ出身=が日本語センターの丹羽義和事務局長に伴われて来社した。  江副校長は、83年にJICA中南米研修会の講師、89年からJICA専門家として2年間滞在。以来来伯を重ね、日本語センターで指導にあたる。浜松(静 ...

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日系社会がなくなる?!=人文研年表の編集終えた雑感=ニッケイ新聞元編集局社会部長 神田 大民

新年特集号 ニッケイ新聞 2012年1月1日付け  去る1月から10月まで、人文研(サンパウロ人文科学研究所)の『日本移民・日系社会史年表』増補版(1996年〜2010年)の編集作業をさせていただいた。1995年まではすでに刊行され、実用に供されており、そのあとの分を担ったのである。作業を通じ感じたのは、日本人移民子孫の日系人意 ...

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知られざる麻州日系史=「本当の野心家多かった」=リオ・フェーロ、カッペン植民地

新年特集号 ニッケイ新聞 2012年1月1日付け  昨年9月末に行われた第1回クイアバ七夕祭り。念願の祭りを開催するに至るまでの経緯を、実行委員長を務めた地元の戦後移民、尾崎堯さん(76、秋田)に聞いた。尾崎さんはマット・グロッソ州都クイアバ市から北北東に約500キロ先、和歌山県人の松原安太郎によって開設された「リオ・フェーロ植 ...

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第6位=Gニッケイが終了宣言=12年のデカセギ支援に幕

ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  「今まで協力してくれたみなさんに感謝したい」。12年前から帰伯デカセギに職業紹介するボランティア活動を続けてきたグルッポ・ニッケイ(Grupo Nikkei de Promocao Humana)の島袋レダ代表(60、二世)は4月、晴れ晴れとした表情でそう語った。  「開拓生活で大変な ...

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人文研年表増補版を刊行=デカセギ、百周年を網羅

ニッケイ新聞 2011年12月16日付け  サンパウロ人文科学研究所(鈴木正威所長)は「ブラジル日本移民・日系社会史年表(増補版1996〜2010年)」(256頁)の刊行祝賀会を13日午後、文協ビル内で行い、約30人が集まって編纂作業をねぎらい祝った。  ニッケイ新聞元編集局社会部長・神田大民さんを専任編集委員に、やはり邦字紙記 ...

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大耳小耳

ニッケイ新聞 2011年12月9日付け  バンデイランテス市役所から大きな贈り物を貰った同地文協。49年に発足、現在は会員160家族と規模は大きくないものの、会館のほか野球場、プール、体育館など施設が充実している。新会館には日語学校の教師だった故長谷川多喜子氏の名がつけられたが、現在学校は閉校し、私塾があるのみとか。その代わりで ...

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人文研=移民・日系社会史年表増補版が完成=出版記念会を13日

ニッケイ新聞 2011年12月8日付け  サンパウロ人文科学研究所(本山省三理事長)は、『ブラジル日本移民・日系社会史年表』の増補版(96〜10年)がこのほど完成したことから、出版記念会を13日午後6時半に文協ビル14号会議室で開く。  40レアル。当日は特別価格30レ、本編とのセットで80レ(一般価格100レ)で販売される。 ...

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「開拓者の苦労を伝えたい」=ドキュメンタリー『笠戸丸移民100年の証言』=野崎さんに製作への思い聞く=沖縄県人会で15日に上映

ニッケイ新聞 2011年12月7日付け  笠戸丸移民とその子孫の足跡を追ったドキュメンタリー『笠戸丸移民100年の証言』(47分、日本語)がこのほど完成した。制作したのはサンパウロ市にあるFDP記録映画製作所のプロデューサー野崎文男さん(79、東京)とカメラマン兼監督の佐藤嘉一さん(79、大阪)。足かけ7年の制作期間を経て完成し ...

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第7回=120年経て覚醒する子孫意識=初訪沖のNカレドニア勢

ニッケイ新聞 2011年12月6日付け  世界のウチナーンチュ大会の開会式会場には不思議な集団が座っていた。沖縄県系人というよりは、普通の白人の一群だ。  「誰だろう」と疑問を感じて声をかけると、初参加のニューカレドニア(以下NC)沖縄日系人会の一団45人だった。オーストラリア大陸の北東部からさらに1200キロほど東の太平洋に浮 ...

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第6回=亜国=終戦5カ月前まで日語報道=最終ニュース「慶良間侵攻」

ニッケイ新聞 2011年12月2日付け  亜国からは今回、最多の200人が参加した。大会取材3回目の『らぷらた報知』編集の崎原朝一さん(77、沖縄)は、「僕自身もう今回が最期かもしれないと思っている。一世はみな、そんな想いがあるから子や孫を連れてきた。だからこんなに人数が増えたんだと思います」と分析する。  最初の移民集団は笠戸 ...

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