ニッケイ新聞 2013年11月29日 スマートフォン(多機能携帯電話)向けに作られた日本製のコミュニケーションアプリ「LINE(ライン)」は、インターネット上での配布が始まって2年足らずの間に世界230カ国、2億8千万人(10月末時点)に広まった。当地でも今年7月からテレビCMでの宣伝を始めるなど、本格的な事業展開を図っている ...
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (80)=珈琲、カンナ、養蚕、果実=基幹作物探して試行錯誤続ける
ニッケイ新聞 2013年11月29日 基幹作物が見つからず、同地では苦しい生活が続いた。脱耕者が続々と出る中で、青年らはその不安な想いを野球にぶつけたのかもしれない。 松村昌和は1930年前後の様子を、「奥地から移転してきた人にはコーヒーの経験はあったが、最初は海興がその植え付けに賛成しなかった。そのうち許可が出て、その人ら ...
続きを読む »「ヴォイス」が大ヒット=ブラジルTV界の台風の目
ニッケイ新聞 2013年11月29日 現在、TVグローボで毎週木曜午後10時から放送中のオーディション歌番組「ザ・ヴォイス・ブラジル」が、ブラジルのテレビ界を席巻している。 「ザ・ヴォイス」はオランダで2010年にスタートした番組で、翌11年にこれのアメリカ版が大ヒットして以来、世界各国が同じフォーマットで独自の「ザ・ヴォイ ...
続きを読む »来年は世界でブラジルブーム?=W杯で国産商品がヒットか
ニッケイ新聞 2013年11月29日 ブラジル人が大好きなポン・デ・ケージョ、グァラナ、国産ビール。これらが世界に羽ばたくのは、W杯がある来年かもしれない——。そんなレポートが、エスタード紙のロンドン特派員から届いている。 イギリス人の食習慣の傾向を分析したコンサルティング会社ミンテルの年報によれば、ブラジルは来年、世界の主 ...
続きを読む »ホンダがサンパウロ州に第2工場=ブラジルでのシェア5%目指す
ニッケイ新聞 2013年11月29日 日本の自動車メーカー、ホンダが26日、サンパウロ州イチラピナで第2工場の起工式を行い、新工場は2015年から操業と発表した。27日付エスタード紙が報じた。 ホンダは現在、サンパウロ州スマレーに工場を持っているが、第2工場にはイチラピナに白羽の矢が立った。ここはスマレーから約100キロで、 ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (79)=全伯一の野球チーム育てる=無敵ミカドに辛勝し優勝杯
ニッケイ新聞 2013年11月28日 安中末次郎一家がバストスへ転住する少し前、後に大臣を輩出する一家もレジストロから移っていた。植木茂彬の父酉二(ゆうじ、長野)だ。茂彬は『サンパウロ市生まれの二世の眼差し』(08年、JBC、212頁)の中でこう説明している。 《私の父は一九一八年に十歳で、長野(須坂市)に紡績工場を持ってい ...
続きを読む »ハイカラさん海を渡る=移民画家 大竹富江の一世紀=(6)=日系人芸術家との親交=「百歳なんて気がしない」
ニッケイ新聞 2013年11月28日 仕事の上ではブラジル社会が主な舞台だった彼女も、私生活ではもちろん日系画家との親交も楽しんでいた。 70年代ごろに富江さんと親しく付き合っていた彫刻家の豊田豊さん(82、山形、帰化人)は、「当時の富江さんは、もう有名になっていた間部さんや福島さんを追いかけていた感じだった。普通は40歳に ...
続きを読む »根強い人種間の社会格差=黒人の給与3割強少なく=「企業にも特別枠必要」
ニッケイ新聞 2013年11月27日 2012年に連邦大学の定員に黒人や褐色、インディオへの特別枠を設ける法案が成立し、今年は黒人系議員の特別枠を設ける憲法補足法案(PEC)を下院の憲政委員会が承認するなど、人種の違いによる機会の不平等を是正しようとする試みは、社会に広がりつつあるように見える。しかし、労組間社会経済調査・統計 ...
続きを読む »信号にアドニランの顔=同氏の曲に所縁の場所で
ニッケイ新聞 2013年11月27日 写真=アドニランのシルエットが写る歩行者用信号 「11時の列車(Trem das Onze)」などの曲で知られる作曲家で歌手のアドニラン・バルボーザ(1910〜1982)の顔をかたどった歩行者用信号が、サンパウロ市内にお目見えして、話題を呼んでいる。 アドニランは1895年にブラジルに着 ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (78)=バストス写真帳後、引揚げ=各地で貴重な写真残す一家
ニッケイ新聞 2013年11月27日 1933年当時、白米一俵12ミル、牛肉1キロ800レース、ピンガ1リットル1ミルの時代に、12×18(6枚)の写真代が28ミルもした。だから当地で印刷したら高くなりすぎて売れないと判断し、写真原版をもって33年2月に単身、遥々帰国して北海道に戻った。350冊印刷し、同年末にはレジストロへ戻 ...
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