勝ち負け抗争
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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝
大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(2)=謎の仲介者アルキメデス=松原の代理人で元大統領秘書
一介の外国人である日本移民が、時の大統領と個人的に親しかったために獲得した「特別の移民枠」。その経緯に関しては謎が多い。 戦後移民が開始された1953年、戦前戦中の米国による反日プロパガンダ、敗戦、
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パウリスタ延長線戦後史1=子孫にとっての勝ち負け抗争
パウリスタ延長線戦後史1=子孫にとっての勝ち負け抗争=(終わり)=「家族の歴史に誇りを感じて」=郷土史家、修正申し出る
「この60年間、今日のような話は一度も聞いたことがなかった」。山内明さんは証言台で、目に涙を滲ませながらそう感想を語った。「特にアドリアノ・ジョーゴ委員長の話だ。拷問や差別があっても、父母からブラジ
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パウリスタ延長線戦後史1=子孫にとっての勝ち負け抗争
パウリスタ延長線戦後史1=子孫にとっての勝ち負け抗争=(5)=郷土史にモライス著から引用=「情報戦の時代に生きている」
ジョーゴ委員長は「日本人を残酷に扱ったことは、ブラジル人にとって語ることを憚られる歴史でもある」とのべ、戦後の勝ち負け抗争時にDOPSで不当に日本移民を拷問し、日の丸を踏まなかっただけの人までアンシ
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パウリスタ延長線戦後史1=子孫にとっての勝ち負け抗争
パウリスタ延長線戦後史1=子孫にとっての勝ち負け抗争=(4)=米国の排日プロパガンダ=宣戦布告前から敵性移民扱い
ツッパン公聴会でアドリアノ・ジョーゴ委員長は、戦中戦後の日本人差別が、勝ち負け抗争勃発の一因になったという考え方を公式に認めた。 「ヴァルガス独裁政権は元々親ドイツ、イタリアだったが、1942年に米
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パウリスタ延長線戦後史1=子孫にとっての勝ち負け抗争
パウリスタ延長線戦後史1=子孫にとっての勝ち負け抗争=(3)=臣聯は司法、行政的にシロ=戦中戦後の日本人差別とは
日本移民への行動制限の多かった戦中や終戦直後の世情や通信状況を考えれば、前年8月の終戦後に結成されたばかりの臣聯に、1月の「日の丸事件」以来わずか2、3カ月で多くの地方支部と綿密な連絡を取り合って、
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パウリスタ延長線戦後史1=子孫にとっての勝ち負け抗争
パウリスタ延長線戦後史1=子孫にとっての勝ち負け抗争=(2)=扇情的なモライスの著作=勝ち組子孫に大ショック残す
1946年当時の伯字紙は連日「臣道聯盟はテロ集団だ」と報じ、その悪印象が根強く残ってしまった。そのため多くの臣聯関係者がその件を心にしまい込み、きちんとした事実関係を子孫に伝えてこなかった。加えて、
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パウリスタ延長線戦後史1=子孫にとっての勝ち負け抗争
パウリスタ延長線戦後史1=子孫にとっての勝ち負け抗争=(1)=失われた家族の記憶求めて=「どう理解すればいいのか?」
「ブラジル人として戦中戦後の差別的な待遇を日本人に謝りたい。肌の色はいろいろだが、人間は一種類だけだ」。5月31日午前10時からサンパウロ州ツッパン市の市議会で行われた「1946―47年の間の日本移
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島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一
島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一=(1)=ブラジル近代史の現場に=118人死亡の大反乱の舞台
サンパウロ州海岸北東部にあるアンシェッタ島は逃亡絶対不可能な〃監獄島〃として、奇しくも第1回移民船笠戸丸と同じ1908年に創設され、最初は軽犯罪者が送り込まれた。それが、ヴァルガス大統領時代の1930
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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸
県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(12)=カラグアタツーバ=山津波の惨劇で日系にも被害=奥地から終戦直後に出る流れ
ニッケイ新聞 2014年4月11日 「何事かと思って山を見たら、見渡す限りの山肌が真っ赤になっていた。あの光景が忘れられない」。由井誠吉会長は同地最大の惨劇を思い出す。カラグアタツーバといえば、196
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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸
県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(2)=タウバテ=1270域誇った鐘ヶ江農場=出光の養子?小田家の秘話
ニッケイ新聞 2014年3月28日 タウバテ文協会館の土地を寄付した小田二三男さん(88、二世)は現顧問として、ふるさと巡り一行の歓迎会に際し、「こんなにたくさんのお客さんを迎えたのは初めて」と威勢よ
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