ホーム | アマゾン 関連記事 (ページ 147)

アマゾン 関連記事

躍進するマナウス免税地域=FIAM=国際アマゾニア見本市=世界から10万人来場=〝天然の宝庫〟の潜在力紹介

ニッケイ新聞 2009年12月5日付け  【アマゾナス州マナウス市発=渡邉親枝記者】開発商工貿易省とマナウス・フリーゾーン監督庁(SUFRAMA)は11月25日から28日まで、「第5回国際アマゾニア見本市(FIAM)」をアマゾナス州都マナウスで開催し、国内はもとより世界中から企業家や政治家、研究者、学生など10万人以上が来場した ...

続きを読む »

ZFM=地域支える産業地帯=年間売上予想250億ドル

ニッケイ新聞 2009年12月5日付け  1967年に設定されたマナウスのフリーゾーン(免税地域、ZFM)。アマゾナス州、アクレ州、ロンドニア州、ロライマ州の四つの州からなる西部アマゾンと、アマパー州マカパー市とサンタナ市で形成され、国土の25%を占める。  レアルプランが始まった94年には同ZFM工業界の年間売上は88億ドルだ ...

続きを読む »

アマゾン特産品のあれこれ=フルーツ・コスメが人気

ニッケイ新聞 2009年12月5日付け  アマゾンの魅力といえば、トロピカルフルーツ。フェイラに行けば、南部では珍しいトゥクマン、ププーニャ、サポタのほかに、日本や北米で人気のアサイ、カカオ、カスターニャなどいろんな魅力に出会える。  最近は、それらを使った化粧水、香水、石鹸、食品などあらゆる商品が発売され、アサイの美容クリーム ...

続きを読む »

アマゾンを拓く=移住80年今昔=【モンテアレグレ編】=第7回=悪路、移住地への道は今も=入植3カ月で命絶った農大生

ニッケイ新聞 2009年12月5日付け  翌朝、アマゾン川沿いに立つ小さな市に出掛ける。野菜などの種類はサンパウロと比べるべくもないが、見たこともない薬草や魚が楽しい。  「キュウキュウ」と鳴き声を立て、箱のなかでうごめくアカリをじっくり吟味する和夫さんによれば、多少灰色がかったものが美味。死んだものは味が極端に落ちるので活きの ...

続きを読む »

コラム オーリャ!

ニッケイ新聞 2009年12月5日付け  アマゾン移民80周年も終わりに近づく年の暮だが、他の記者に遅れてアマゾン入り。3日に最終回を迎えた本紙の連載小説「片道切符『奥アマゾン』」の筆者川田敏之さん(長崎)を訪ねた。  59年、アクレ州キナリーに第1回移民、その後の人生は読者の方々の知るところである。  日本自分史大賞国際賞を受 ...

続きを読む »

アマゾンを拓く=移住80年今昔=【モンテアレグレ編】=第6回=風に吹かれ、延びる滞在=アカリと壁画に魅せられ

ニッケイ新聞 2009年12月4日付け  モンテアレグレ取材は、当初0泊2日の予定だった。  サンタレンから飛行機はあるのだが、定期便がないため、何人か集める必要がある。  限られた取材費では一人貸し切りは露にも思わず、必然ハンモックに揺られる船上の人に。  夕方にサンタレンを出て、夜中にモンテアレグレへ。翌日、一日取材をして、 ...

続きを読む »

アマゾン80周年=海谷トメアスー会長が協力に感謝=「お礼が言いたかった」

ニッケイ新聞 2009年12月4日付け  「とにかくお礼が言いたかった」。〃アマゾン移民のふるさと〃トメアスー文化農業振興協会の海谷英雄会長が、日系団体の協力に感謝するために来聖した。  トメアスー郡の選挙結果に問題が起き、裁判沙汰になったために、あまり公的な支援が期待できない中、9月の式典にはサンパウロ市や日本からの続々と参加 ...

続きを読む »

アマゾン80周年=生田会長が返礼に来聖=「皆の協力嬉しかった」

ニッケイ新聞 2009年12月3日付け  「みなさん、ありがとうございました」。汎アマゾニア日伯協会の生田勇治会長は堤剛太事務局長と共に11月16日に来社し、アマゾン入植80周年へのサンパウロ市日系団体の協力を感謝した。  9月の式典には、県連ふるさと巡り一行211人をはじめ、幾つかのツアーが組まれ、計250人近くが駆けつけた。 ...

続きを読む »

西部アマゾン=日語能力試験=6日

ニッケイ新聞 2009年12月3日付け  西部アマゾン日伯協会(アマゾナス州マナウス市)からの通信「日伯便り」によれば、6日に日本語能力試験が開催される。19日には日本語講座修了式が行われる。なお、来年度の同講座、学校への入校申し込みは10年1月5日から22日まで。その他、12日に第9回理事会、25日にナタールが開催される。   ...

続きを読む »

アマゾンを拓く=移住80年今昔=【モンテアレグレ編】=第5回=高谷信夫・和夫兄弟=絶ち難い〃古里〃への思い=新たな挑戦、農場経営も

ニッケイ新聞 2009年12月2日付け  バナナの皮の草鞋、タイヤの草履で日々を過ごし、移住地から市街地へは週1回トラックが往復するのみ。それも雨季になると、頼りにはならなかった。  当時は移住地にダッジのトラックが一台だけ。高谷一家の運搬・交通手段は、75年にシボレーのトラックを買うまでの20年間、常に馬だった。  「本当にお ...

続きを読む »