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アルゼンチン 関連記事

明治3年=バイーアで切腹した日本人=海軍のエリート候補生=薩摩武士の前田十郎左衛門=後輩に山本権兵衛、東郷平八郎

腹を十字、ノドまで自刃 ブラジルに最初に足を踏み入れた日本人は、1803年にサンタカタリーナ島にロシア軍艦で着いた若宮丸の漂流民4人であったが、彼らは通過しただけだった。最初にブラジルの地に「骨を埋めた」日本人は、1870(明治3)年にバイア湾で見事な割腹自殺を遂げた薩摩武士の前田十郎左衛門であった。日本に軍艦すらない時代に、な ...

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日伯外交120年周年と移住=両国側の思惑と条約締結=日清、日露戦争との関係は=1879年に最初の気運

「日本国及伯剌西爾合衆国間修好通商航海条約」(調印書、外務省外交史料館より)

 日本とブラジルは1895年11月5日パリで、曾禰荒助駐仏日本公使とガブリエル・アルメイダ(Gabriel de Toledo Piza e Almeida)駐仏ブラジル公使が「日伯修好通商航海条約」(「日本国及伯剌西爾合衆国間修好通商航海条約」)を調印して外交関係を樹立した。1897年2月に批准書交換が行われ、リオ州ペトロポリ ...

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ピゾラット=遂に強制送還が実現=約2年に渡る伊国逃亡の末=ブラジル連邦政府の執念実る=帰国後すぐにパプーダ監獄へ

23日、ブラジリアに到着したピゾラット氏(José Cruz/Agência Brasil)

 メンサロン事件で有罪判決を受け、刑執行直前にイタリアに逃亡していたエンリケ・ピゾラット氏が22日、2年に渡る逃走の末、イタリアからブラジルに強制送還させられた。23日付伯字紙が報じている。 ピゾラット氏はメンサロン事件当時のブラジル銀行マーケティング部担当理事で、32・6万レアルの収賄、マネー・ロンダリング、7300万レアルの ...

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セレソン南米予選のメンバー発表=復帰のネイマールにカシオら

セレソンに召集されたカシオ(Daniel Augusto Jr./Ag. Corinthians)

 サッカー・ブラジル代表(セレソン)のドゥンガ監督は11月12日、17日に行われるワールドカップ南米予選の対アルゼンチン、対ペルー戦に出場する23人を発表した。 選ばれた選手は以下の通りだ。 〈キーパー〉ジェフェルソン(ボタフォゴ)、アリソン(インテルナシオナル)、カシオ(コリンチャンス) 〈サイドバック〉ダニーロ(レアル・マド ...

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東西南北

 アルゼンチンの大統領選挙が明後日の25日に迫っているが、アルゼンチンの最高裁は21日、クリスチーナ大統領に対するスパイ疑惑での捜査の許可を出した。これはクリスチーナ氏の後任候補、ダニエル・シオリ氏の最大の対立候補、マウリシオ・マクリ氏の陣営が起こした訴えを受けたものだ。訴状によると、クリスチーナ氏は軍を使い、政敵、有名人、反政 ...

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ベ国国会議員選挙=ブラジルが監視団協力断念=ジョビン氏指名拒否などで

 12月6日に行われるベネズエラの国会議員選挙に関し、ブラジル選挙高等裁判所が20日、南米諸国連合(ウナスル)の選挙監視団への参加取り消しを決めたと21日付伯字紙が報じた。 ベ国の政情が不安定な事は、反体制派の政治家投獄やそれに対する抗議行動といった動きからも明らかで、12月の議員選挙も、国際的な圧力がなければなし崩しにされかね ...

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アルゼンチン大統領選=現与党派のシオリ氏優勢=1次投票での課題は?

 25日に行われるアルゼンチンの大統領選は、クリスチーナ大統領(勝利のための前進・FV)の後継者でブエノスアイレス州知事のダニエル・シオリ氏(正義党・PJ)が優勢だが、1次投票で当選を決めるにはいくつかの課題があると18日付エスタード紙が報じている。 8月9日の予備選で、大統領候補はシオリ氏、保守系の企業家のマウリシオ・マクリ氏 ...

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ジェフェルソンに嬉しい援軍=セレソンのスタメン奪回なるか

ジェフェルソン(Rafael Ribeiro/CBF)

 13日のワールドカップの南米予選対ベネズエラ戦で先発を外されたセレソンの守護神ジェフェルソン(ボタフォゴ)をめぐり、彼を支持する人たちから熱いバックアップが出てきている。 ジェフェルソンは、14年W杯終了後からコパ・アメリカまで、毎試合欠かさず先発し、試合終了までゴールを守り続けてきた。 だが、コパ・アメリカで敗退したあたりか ...

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■訃報■舞踏家 戸塚マリさん

 舞踏家であり、フラメンコやアルゼンチンタンゴの指導者としても活動していた戸塚マリさんが、15日午後10時半頃、入院先であるサンパウロ市カンポリンポ病院で亡くなった。享年84。 1931年中国北京市生まれ。6歳から日本舞踊を習い始め、15歳で日本に戻り小牧バレエ団に10年間在籍。その後フラメンコ舞踏団を立ち上げ、踊りの指導をしな ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第13回=英米領事が尋問に同席

DOPSとして使われていた建物

 『戦野』68頁には、驚くべき記述があった。《サンパウロの保安課ではアメリカの領事と、英国の領事が相互に出張し、彼らの諜報機関からの情報や調査を基本として、指令を与えたり、在伯、日、独伊人に対するブラジル警察の活動に助力を与えたりして居るので、サンパウロ市の警察下級官吏は、虎の威を被る小狐の如く、英米崇拝に心酔し、為に日独の高位 ...

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