店の隣には旅行代理店、道路の反対側には雑貨店やレストランがポルトガル語やスペイン語の看板を掲げて商売をしている。なるほど山本が言った通り、その街では日本語ができなくても生活できそうだ。 リカルドとアナは、それらの店で当面の生活に必要な食料品や雑貨品を買い揃え、かかった経費は後で折半した。 「電子レンジと冷蔵庫は早く買ったほうが ...
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ネッタイシマカ=ボウフラ駆除剤に問題?=アマゾンでバイオ製品開発
デング熱やチクングニア熱、ジカ熱を媒介するネッタイシマカ対策は世界的な課題となりつつあるが、蚊のボウフラを駆除するための薬が小頭症を引き起こす要因となっているのではないかとの声が上がり、同薬使用を中止する州が出てきた。 妊婦がジカ熱に感染した事が原因と見られる小頭症児増加は、ブラジルの医療関係者が世界に先駆けて報告し、その後 ...
続きを読む »リオ市=亜国人観光客刺され死亡=五輪会場から200m
17日未明、リオ市南部のコパカバーナ海岸でアルゼンチン人の女性観光客が刺殺され、2人の男が現行犯逮捕されたと17日付フォーリャ電子版が報じた。 被害者はラウラ・パメラ・ヴィアンナさん(25)で、同日午前2時半頃、同海岸にあるコパカバーナ・パレス付近で女性の友人3人と一緒にいたとき、2人組が近づいてきて煙草とライターを持っている ...
続きを読む »軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第6回=江戸末期の超人気芸人「万治」
19世紀末、ペルーにも日本人軽業師は巡業していたようだ。アルゼンチンの『日本移民発祥の地コルドバ』(大城徹三著、1997年)によれば、《ペルーのリマに軽業師一座が二回来ている。二回目は一八八八年二月で興行師はチャス・コメリーでチョンマゲを結って裃姿で紙の蝶々を自由自在に飛ばし大好評を受けた。一回目はそれ以前に来ている―という訳 ...
続きを読む »ローリング・ストーンズ=アルゼンチンでコンサート従業員死亡=大統領とシュラスコ・パーティも
2月3日からチリのサンチアゴを皮切りに南米ツアー中の「ロックバンドの王様」ことローリング・ストーンズ。13日にアルゼンチンでの3回の公演を終えたばかりの彼らだが、古くから騒動の多いストーンズゆえか、今回もただでは終わらなかった。 11日未明はストーンズにとって悲しい出来事が起こった。10日、彼らはブエノスアイレス州ラプラタのラ ...
続きを読む »日本移民迫害に謝罪請求=書類を伯法務省に提出=奥原さん年末、3年で判定か
ヴァルガス独裁政権時代の日本移民迫害に対して、国に謝罪を求める運動を進めている奥原マリオ純さん(41、三世)。ジョゼ・カルドーゾ法務大臣宛で法務省アネスチア委員会に対し、その旨の正式文書を送り、昨年末に受理されていたことが、先頃分かった。本文は62頁、資料編を含めれば400頁になる。首都での公判をへたのち「3年ぐらいで判定が下 ...
続きを読む »発泡酒の消費16%増加=国産メーカーの期待膨らむ
ブラジル経済がここ25年間で最悪の不況で喘ぐ中、発泡酒の消費は順調に伸びており、国産のメーカーの期待が膨らんでいる。 シャンパンなどのスパークリングワインや、果実や果汁を使ったフルーツビールの類は、クリスマスや新年、その他の祝い事の席には欠かせない。発泡酒は、栓を飛ばして景気の良い音を楽しむだけではなく、家族や友人と優雅な一時 ...
続きを読む »軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第4回=1886年にサンパウロ市で絶賛された一座
ウルグアイ、アルゼンチンで公演しているなら、当然ブラジルでもしているはず――と考え、サンパウロ州で一番古くて現存する新聞「エスタード・デ・サンパウロ」紙のデジタル・アーカイブ(電子書庫)で探してみたが、見つからなかった。 おもえばサツマ座のウルグアイ、亜国公演は1873年。エスタード紙の創刊はその2年後、1875年だった。当然 ...
続きを読む »ブラジルにもあった極秘の原爆開発計画
年始には北朝鮮が自称〃水爆〃実験、さらにロケット発射など、日本周辺が不穏な空気に包まれている。「南米には原爆がなくてよかった」と他人事のように考えているかもしれないが、歴史的には案外そうでもない▼原爆投下70周年の昨年は、考えさせられる取材機会が続いた。ラーモス移住地への長崎平和の灯分灯の折には、日本の報道関係者に「どうしてブ ...
続きを読む »軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第3回=1873年に亜国で公演
江戸末期から明治最初の頃の軽業師は日本の民間人初の洋行者であり、日本独特の文化を見せてお金を稼ぐ文化的ビジネスの大成功者だった。 鈴木南樹の記述には《ウルグアイ、アルゼンチンまで股にかけて興行してまわった》とあるが、調べて見ると、実際に明治初期に両国で日本の曲芸団が公演した記録が残っていた。竹沢万次の一座かどうかの確証はないが ...
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