2006年3月17日(金) 【エスタード・デ・サンパウロ紙十二日】ボリビアからブラジルへの不法入国者が急増している。背景には両国の二国間協定により、八月十五日までの不法滞在者を合法化する旨の特赦令が実施されることで、それまでに入国を果たそうとするボリビア人が急増していることにある。ブラジル人がアメリカで一旗あげるべく不法入国を ...
続きを読む »イグアス 関連記事
商議所 業種別部会長懇談会――――最賃引き上げ効果を期待=家電・自動車は好調続く=連載(下)
2006年2月11日(土) 【繊維部会】冷夏と暖冬で衣料品販売の落ち込んだ繊維業界。今井部会長は「くもりのち小雨でした」と〇五年を振り返る。クリスマス商戦も不振。小売業者からは手形の引き伸ばしも出ているという。一方レアル高で輸入素材のコストは下がった。 〇六年はW杯と選挙の年。最低賃金引き上げの効果も期待される。今年の見通しは ...
続きを読む »熱戦繰り広げた=全パラグァイ青年野球=移住70周年記念行事の幕開け飾る
2006年2月10日(金) 四日と五日、イグアスー球場で第十九回全国パラグァイ青年野球大会が開催された。今回は日本人のパラグァイ移住七十周年とイグアスー移住地入植四十五周年、二つの記念を祝う大会となった。主催は全パラグァイ少年野球連盟(工藤好雄会長)で、地元イグアスーの日本人会(栄田祐司会長)が後援した。 大会長・工藤好雄( ...
続きを読む »新潟県人会=北パラナ支部が新年会=市村ウライ市長が牛1頭
2006年2月10日(金) ブラジル新潟県人会(南雲良治会長)の北パラナ支部の新年会が一月二十九日、今年もパラグアイにある市村之(すすむ、87)=帰化人=さんの大農場で行われた。サンパウロ市からも南雲会長はじめ三人が招待され、ロンドリーナから市村さんがチャーターしたバス二台で北パラナ支部員ととも行き、提供された牛一頭に舌鼓を打 ...
続きを読む »大豆の里、イグアスー移住地の試み=ブラジルの新品種栽培=生育状況に関心高まる=より安全な営農形態模索
2006年2月4日(土) 非遺伝子組み換えでタンパク質含有量が高く、人体にやさしい大豆の一種として知られている『オーロラ』の代表的な栽培地であるパラグァイのイグアスー移住地で、今期(二〇〇五―〇六農年)もブラジルで開発された新しい品種が導入された。 中でも注目を集めているのが、BRS244とCD212の二種。BRS244はE ...
続きを読む »健康の汗を流した=全パラグァイ=パークゴルフ大会=イグアスー移住地入植45周年を祝う
2006年2月1日(水) 第七回パラグァイ全国パークゴルフ大会が、一月二十二日、イグアスー移住地で開催された。今年はイグアスー・パークゴルフ愛好会(岡村孝会長・高知県)が主催し、日本人会と農業協同組合が後援した。移住地と関係のある企業八社が協賛。移住地入植四十五周年の記念事業であった。各地から百余名が参加して日頃の練習の成果を ...
続きを読む »「感動」多かった実習=北海道専門高校生=ブラジルを体験
2006年1月28日(土) 平成十七年度専門高校生海外実習派遣団(柿崎賢一団長=北海道岩見沢農業高等学校教諭)は八日、サンパウロに到着し、約十八日間の実習を行った。各高等学校の農業、商業、工業学科生徒十人が揃いのユニフォームで来社。それぞれの体験を語った。 リーダーを務めた澤村友悌さん(北海道函館工業高等学校)は、ポンペイア ...
続きを読む »イグアスー移住地=新成人に苗木と錦鯉贈る=14人が大人社会に仲間入り=「花」も「実」もある人生を=「錦」あるこども育てよ
2006年1月20日(金) パラグァイのイグアスー移住地で十四日、成人式が行われ、男性六人と女性八人、合わせて十四人の新成人が誕生、両親や先輩たちから温かい祝福を受けた。新成人たちには一対の苗木と一対の錦鯉の稚魚が贈られた。苗木はパクリ(Pakuri,学名Rheedia brasilensis)とペテレヴ(Peterevy,学 ...
続きを読む »大耳小耳
2006年1月4日(水) 援協は事業評価の一環で、〇一年~〇五年までに受けた寄付の件数や金額を調べている。統計をとるのは初めて。五年間の推移をみることで、「コロニアの求心力なども推察できるのでは」と関係者。〇四年度は約四十六万レアル(五百六十八件)だったそう。施設別では、あけぼのホームが約四万五千レアル(六十七件)でトップ。サ ...
続きを読む »イグアスー移住地=「高卒」もいる日語学校=一貫教育定着、その証の卒業式=2つの民族の〃つなぎ役〃=非日系人コースもしっかり
2005年12月24日(土) ブラジルとの国境から四十一キロ地点にあるイグアスー(Yguazu)移住地で、十八日、日本語学校(堤和子校長・青森県出身・東京農大卒)の卒業式が行われ、小学生十一名、中学生十五名、高校生五名が卒業した。 同地に移住が始まったのは一九六一年八月。その二年後の六三年九月に日本語学校が開校した。当時の子 ...
続きを読む »