ニッケイ新聞 2011年9月24日付け 月刊経済専門誌「実業のブラジル」9月号がこのほど実業のブラジル社から発売され、各日系書店などに並んでいる。 今月号の内容は「中銀、金利を引き下げ」、「CSN、ウジミナスに出資提案」、「成長率は足踏みでも失業率は減少」、「迂回貿易に利用されるメルコース」(高木登)、ほか。 講読希望者は ...
続きを読む »ウジミナス 関連記事
CSN=ウジミナス株追加取得へ=新日鉄超す筆頭株主誕生か=別社保有株26%の買取提案
ニッケイ新聞 2011年9月10日付け 国内鉄鋼大手のナショナル製鉄(CSN)が、新日本製鉄傘下のブラジル鉄鋼メーカー、ウジミナスに対して同社の発行済み株式の26%の買取りを提案したことが明らかになったと8、9日付エスタード紙が報じている。 およそ1年にわたってウジミナスへの包囲網を築いてきたCSNの経営者ベンジャミン・スタ ...
続きを読む »追悼寄稿特集=日系初の連邦下議=田村幸重氏逝去に寄せて=サンパウロ日伯援護協会会長 菊地義治
ニッケイ新聞 2011年7月23日付け 田村幸重氏は高知県出身の田村ヨシノリ、チヨ夫妻のご子息として1915年に生れ、当時、日系人の大学入学者が極めて少ない時代にサンパウロ総合大学法科を卒業、その後ブラジル陸軍上級学校も卒業され、その頃既に将来を嘱望される人物に成長されておりました。 田村氏は私生活では妻いくよさんとの間に、 ...
続きを読む »百周年の基礎にある功績=日伯司牧協会百周年委員会=副委員長 山口エルミロ
ニッケイ新聞 2011年7月23日付け ブラジル社会に広く知られ、日系人の代表的存在ともいえる田村幸重氏は、1915年1月2日にサンパウロ市リベルダーデ区で誕生した。両親である田村ヨシノリ、チヨ夫妻は、1910年に高知県から移住し、農業を営んでいた。幼少時は家庭が貧しかったため、母が作ったパステルを父とともにセー広場で売ってい ...
続きを読む »勇気ある政治家人生偲ぶ=田村元下議=初七日に200人集まる=「我々二世の模範でした」
ニッケイ新聞 2011年7月22日付け 「デプタードは常に我々二世の模範でした」。日系初の連邦下議、田村幸重氏(二世、1915—2011年)の初七日が17日午前、サンパウロ市のサントアゴスチンニョ教会で行われ、故人を偲ぶ友人や関係者ら約200人が参列し、山口エルミロ元サンパウロ州知事補佐官はそう追悼のメッセージをのべた。戦後の ...
続きを読む »■訃報■日系初の下院議員=田村幸重氏
ニッケイ新聞 2011年7月14日付け 日系初の連邦下院議員だった田村幸重さんが11日午前8時、アクリマソンの自宅から病院に運ばれる途中、心筋梗塞のため亡くなった。享年96。 サンパウロ大学、ブラジル陸軍大学卒。48年にあった戦後初の選挙でサンパウロ市議、50年サンパウロ州議、54年には連邦下院議員に当選、69年まで4期を務 ...
続きを読む »大耳小耳
ニッケイ新聞 2011年6月7日付け 岩手県人会に、ウジミナス製鉄所の歴史を綴った本が100冊、サンパウロの出版社「オリャーレス」から寄付されたそう。先日のわんこそば祭りで手伝いをしていた、父がウジミナスに勤務していたという渡辺ミチさんから伺った。もともと移民百周年を記念して発刊が企画されたものだが、東日本大震災の被災地復興の ...
続きを読む »伯日交流協会=元気に帰国報告会開く=研修先へ感謝の言葉
ニッケイ新聞 2011年4月6日付け ブラジル日本交流協会(二宮正人会長、ANBI)の研修留学生帰国報告会が3月12、13両日、サンパウロ市ヴィラ・マリアーナ区のブラジル日本語センターで開催され、受け入れ先団体や世話になった人への感謝のコメントが多く聞かれた。2010年度の研修生は20代前半から30代までの11人で、研修地域は ...
続きを読む »郷土民謡優勝の小林さん=伯代表して日本の大会へ
ニッケイ新聞 2010年9月24日付け ブラジル郷土民謡協会(桜庭喜太郎会長)の第22回郷土民謡全伯大会で優勝した小林和八さん(77、群馬、ミナス州イパチンガ在住)が6日、夫人の恵美子さん、同協会の北原民江理事、棈木幸一ミナス支部長とともに本紙を訪れ、喜びを語った。 大会は8月1日に援協福祉センターで開催され、小林さんはベテ ...
続きを読む »コラム 樹海
ニッケイ新聞 2010年9月10日付け 歴史に「もし」はないと言われるが、第2次大戦でブラジルが枢軸国側に参戦していたら、今と違う世界情勢が生まれていただろう▼ヴァルガス大統領は思想的には枢軸国側の独裁政権に近かった。彼が37年に始めた独裁体制エスタード・ノーボは、先輩格のポルトガルのサラザル独裁政権を参考にして同じ名前まで付 ...
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