ニッケイ新聞 2010年9月28日付け リベルダーデ歩こう友の会は10月17日、サンパウロ市から143キロ離れたサンパウロ州セーラ・ネグラへ買い物と散策を兼ねた小旅行を行なう。同地の名物は糸製品や皮革、ミナス産のチーズやサラミ、カシャッサなど。 午前7時リベルダーデ広場出発。参加費は会員70レアル、会員外80レ。詳細、申し込 ...
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第33回県連ふるさと巡り=リオ、ミナス街道をゆく=《終》=カシャッサ工場も訪問=各地の温かい歓迎に満足
ニッケイ新聞 2010年4月1日付け コンセルバトーリアの民宿に宿泊する一行、ツアー4日目の晩はセレナータを聞きに街へと繰り出した。週末の夜はどこの街角でもセレナータ、セレスタ、ショーロが流れるこの街は、観光客で賑わう。 午後11時過ぎ、広場のセレナータの象徴ジョゼー・ボルゲス・デ・フレイタス・ネット像前から、セレナチスタに ...
続きを読む »コラム オーリャ!
ニッケイ新聞 2009年10月3日付け カシャッサと言えばカイピリーニャしか飲まないコラム子。産地として有名なミナス・ジェライス州へ小旅行に行って来た。 カシャッサを味わうにはストレートで飲むのが一番。ショット・グラスに注がれたのは、多くの蒸留所がある同州サリーナス産のカシャッサ。甘いとも言える濃厚な香りと、舌を軟らかく刺激 ...
続きを読む »コラム オーリャ!
ニッケイ新聞 2009年8月6日付け エスピリト・サント州都ヴィトリアにほど近い山間地帯セーラ・カピシャーバを訪れた。 ドイツ・イタリア移民が多く、ヨーロッパの香りが漂う。世代は進み、四、五世が中心にも関わらず金髪碧眼。民族衣装でのダンスも楽しめた。 全国に先駆け環境農業観光(Agroecoturismo)に力を入れた地域 ...
続きを読む »編集部座談会「ざっくばらんでいこう」=独断と偏見で選ぶ=後世に残したい『コロニア文化遺産』
ニッケイ新聞 2008年6月20日付け 第一回移民船笠戸丸がサントスに到着して百年。ブラジル日系社会(コロニア)は新世紀を迎えた。益々ブラジルへの同化が進んでゆく今だからこそ、何を残すべきかを考えたい。戦前・戦後の移民二十五万人、そしてその子孫らによる一世紀にわたる生活の息吹を掘り起こす百年企画だ。サッカー、アマゾン、カーニバ ...
続きを読む »レアル銀行=百周年記念展示会=日本移民の貢献をテーマ別に=人名検索システムも=パウリスタ本店で21日から
ニッケイ新聞 2008年5月20日付け レアル銀行は百周年を記念し、日本人移民のブラジル社会への影響をさまざまな視点から見る展示会「私たちひとりひとりの日本」をサンパウロ市パウリスタ大通りの本店(Av paulista 1374)の入り口ホールで今月二十一日から始める。パウロ・ガルセス・マリンス氏(歴史研究家)と大井セリア氏( ...
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ニッケイ新聞 2007年12月7日付け サンパウロ市東部モオッカ区で五日早朝、一六歳から二三歳の青年六人が乗った乗用車が電信柱に激突。五人死亡、一人が重態。スーパーの駐車場で飲んで帰宅途中の事故で、車内にはカラになったカシャッサのビンもあった。トロリーバスと付近への電線を支えていた電信柱は二メートル弱のところで折れ、ジーゼル車 ...
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2007年3月23日付け 恒例の議員サッカーが行われた。試合後は、デウガード下議(ブラジル社会党=PSB)差し入れの超極上カシャッサで一同乾杯。航空管制CPI設置で荒れた翌日、コウチニョ下議(ブラジル民主社会党=PSDB)が「悪いのは、デウガードのカシャッサだ」と抗議。デウガード下議「こんにちは皆さん。カシャッサの代わりにカモ ...
続きを読む »中国の真似は伯にムリ=成功の裏には厳しい制度
2006年12月6日付け 【エスタード・デ・サンパウロ紙十一月十七日】ブラジルの格言で「飲んだカシャッサの値段は分かるが、よろけて怪我をして、払う治療費は誰も分からない」という。この格言は中国方式を導入せよという人に聞かせたいと、経済評論家のミング氏が語る。 中国が飲んでいるカシャッサが、どんなものか知っているのか? 経済成 ...
続きを読む »ガイドブックが初登場=3月25日街=目当ての商品探しに一助
2006年11月7日付け 【エスタード・デ・サンパウロ紙六日】サンパウロ州の買物のメッカとされているヴィンテ・エ・シンコ・デ・マルソ街(三月二十五日街)は破格の低価格に加え、品質が改善された商品で、ますます好評を博している。連休の最中の四日にはクリスマス用品やプレゼントの買物客八〇万人で賑った。 これを受けて出版社が初めてガ ...
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