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ガイジン 関連記事

連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳= (68)

 叔父の樽は少し前、サンカルロスに移り、町のそばに農園を借りて、野菜を栽培し朝市で売っていた。家族が増えていた。  1921年から1923年、イガパラヴァにいたとき、長女のハツエと長男ヨシアキが生まれた。1925年タバチンガでヨシオが生まれた。沖縄人らしく顔が真っ黒で、丸顔がノルデスチノ(東北部地方の人)に似ているので、「バイア ...

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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(57)

 正輝はたまに近所のヨーロッパ系移民の家によばれると、日本人移民のあまりにも質素で、文化度の低い家を思い、やりきれなかった。家の外観はほとんど同じだ。天井はたいていむき出しの屋根瓦、土間の床、レンガの壁の家だった。  しかし、ガイジン(当時、日系以外の者に対して使われた言葉)の家の応接間のテーブルはきちんとしていた。粗末だがテー ...

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独移民の町、ポメローデ

 世界最大規模のオクトーバーフェストが催されるサンタカタリーナ州ブルメナウから、車で一時間ほど離れたところに「ポメローデ」というドイツ移民の町がある。〝ブラジルで最もドイツらしい町〟との名を冠するところだ。  ブルメナウからは近いが、ポメローデ行きの路線バスは一日数本しか出ておらず、交通の便は余りよくない。途中で乗車してくる客は ...

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コロニア語考=移民の知恵=中田みちよ=(5・終わり)

保久原ジョルジ『臣民』

 では、最近の「ブラジル日系文学」のコロニア語の混入度はどんな具合なのでしょうか。  最新の59号(2018年)、戦後の力行会青年移民の随筆を手にとると、インテルホーネ、ビッコ(アルバイト)、ピンゲイロ、カシャセイロに混じってイケメン、リーダー、ウオーキングなど最近のカタカナ語が混じっています。この地特有の名詞、たとえばピンガや ...

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ブルーツリー=元旦おせちはチーム・ジャパン=塚本恭子さん料理担当で

おせち料理(参考写真、実際の料理とは異なります)

 サンパウロ市のブルーツリープレミアム・パウリスタ(Rua Peixoto Gomide, 707)が、年末年始向けに企画する特別プラン三つの参加者募集締め切りが迫っている。  目玉は、今回12年目を迎える恒例の「元旦おせち」。食品関係の日本進出企業が団結して食材を提供する「チーム・ジャパン」という新しい取り組み。ニチレイのエビ ...

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県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(5)=レジストロから兄妹揃って参加=北原さん「私の故郷はブラジル」

レジストロから参加した北原一家

 北原吟子さんに続き、弟・春正さん(68、熊本県)に話を聞いた。一家はスザノで2カ月ほど過ごした後に、イタペセリーカに転住。そこでは野菜作りを営んでいた。  春正さんは「当時はトラクターもなく、鍬で畑を耕した。トマトを袋詰めにしては町の市場まで持っていった。言葉が何も分からず、欲しいものを指差して、ガイジンと物々交換したんです。 ...

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■ひとマチ点描■『ガイジン2』のばっちゃんが90歳

家族と共に誕生日祝う小野あやさん

 『Gaijin―Ama‐me como Sou』のチトエ役を演じた小野あやさん(山形県米沢市)が8月19日に90歳を迎え、家族や友人と元気に祝った。  小野さんは1928年8月14日、5人兄弟の末っ子として生まれ、1930年に家族と渡伯した。サンパウロ州カフェランジア市に入植後パラナ州サバウジア市に移り、現在はロンドリーナ市に ...

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特別座談会=四世ビザはどうあるべきか?=日伯交流の将来担う人材育成の枠組みとして=(8)

帰化すれば手に入れることになる日本のパスポート

【深沢】「呼び寄せ」がもっと簡単に出来るようになると、こっちの人は行きやすいでしょうね。日本からしても、日本側に誰か拠点となる人間が呼んでる、日本のことをある程度わかっている人間が呼んでるわけだから、安心に呼べる仕組みになるんじゃないかって気がするんですよね。 【永井】家族で一緒に住むことってすごく大切なことなので、そういう権利 ...

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眞子さま=ロンドリーナ400人が熱烈歓迎=生涯忘れられない思い出に=「感激で言葉もでませんよ」

やさしくお声かけされ、子供たちの緊張をほぐされた

 【パラナ州ロンドリーナ発】眞子さまは19日午後4時過ぎ、リオからロンドリーナ空港にご到着され、ロンドリーナ文化体育協会(ACEL)を訪問された。瑠璃色の気品溢れるワンピース姿で現れると、約400人の地元日系人が熱烈に歓迎した。  到着予定の3時間以上前から人が集まりはじめ、会館では期待に胸を躍らせる高齢者で溢れかえった。内田正 ...

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眞子さま、いらっしゃいませ!=「明治の日本」残すノロエステ=日系社会から歓迎の言葉続々

四世まで同居する安永家

プロミッソン=教育勅語が大家族の中心に=「世に尽くすことが喜び」  「これが人生で最高の写真です」――プロミッソンの安永一門の長老・忠邦さん(97、二世)がにこりと笑みを浮かべて取り出したのが、30年以上前に日語教師の研修で訪日した際、天皇皇后両陛下(当時、皇太子同妃両殿下)に謁見した当時の写真だ。  戦時中に日語が禁止されるも ...

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