ニッケイ新聞 2008年1月1日付け 移り来て一世紀――。海を渡った日本移民とその子孫たちは、百年にわたり、ここブラジルの社会に様々なものを残してきた。古くは五十周年を機に実現したサンパウロの文協ビル(文化センター)のような建築物、日本庭園や鳥居、記念碑や資料館、さらに今ある各地の文協会館も、先人たちの遺産と言える。そして今、 ...
続きを読む »クリチーバ 関連記事
新年特集=私の町の鳥居自慢=あるわ、あるわ十基以上=全伯の鳥居を一挙紹介
ニッケイ新聞 2008年1月1日付け あるわ、あるわ。ブラジルどころかパラグアイにも鳥居はあった。サンパウロ市リベルダーデのガルボン・ブエノ街のそれは日本のシンボルとして、たくさんの日系団体や企業や商店のマークに使われている。そこで編集部では、読者に呼びかけて全伯の鳥居を探した。すると、少なくとも十基以上の鳥居がすでに建立され ...
続きを読む »新春編集部座談会=「ざっくばらんでいこう」=取材記者が大いに語る=百周年をぶった切る!
ニッケイ新聞 2008年1月1日付け ブラジル日本移民百周年、日伯交流年がついにスタートした。堀村隆彦前大使の言を借りれば〇六年は〃加速の年〃、西林万寿夫在聖総領事によれば昨年は〃仕上げの年〃だったのだが、現況はいかがなものか。本紙編集部はコロニア最大の関心事である百周年に関して、綿密な報道を行ってきた。もちろん紙面に出せない ...
続きを読む »ニッケイ新聞編集部が選んだ=2007年コロニア10大ニュース
ニッケイ新聞 2007年12月29日付け 「猪突猛進」の勢いで始まった二〇〇七年も暮れようとしている。「百周年への仕上げの年」と位置付けられた今年、国内各地で来年に向けた準備が急ピッチで進んだ。現在、かつてないほどの記念事業が進行しているが、サンパウロはもう一つ元気がない様子。皇太子殿下のブラジル訪問も発表され、百周年・交流年 ...
続きを読む »国際交流基金の百周年事業=日本の伝統 ブラジルに伝える=連載《下》=創造する伝統「舞楽法会」=雅・舞楽、声明が三位一体に
ニッケイ新聞 2007年12月22日付け 日本の伝統文化、宗教世界を舞台上に再現――。雅楽、舞楽、声明が三位一体となった「創造する伝統『舞楽法会』」が二〇〇八年十一、十二月に国内五都市で公演が行なわれ、総勢約四十人が来伯する。同舞台は日本EU市民交流記念事業」(〇五年)でヨーロッパ公演、日印国交樹立五十周年記念事業(〇七年)で ...
続きを読む »百周年=募金に拍車かかるパラナ=10万レの大口個人寄付も=責任者3人が8千キロ行脚=皇太子殿下の歓迎に全力
ニッケイ新聞 2007年12月14日付け 北パラナのローランジア市に建設するパラナ百周年の目玉事業「夢テーマパーク」に対し、先週、ブラジル観光省から一千万レアル(約六億円)が支援されることが決まったばかりだが、個人レベルでも大口寄付が集まっている。当初はローランジアで開催する予定だった大型の展示会は、マリンガに変更になり、主要 ...
続きを読む »パラナ州=ミス日系にナターリアさん=百年祭行事で女性を代表
ニッケイ新聞 2007年12月7日付け パラナ日伯文化連合会(リーガ・アリアンサ、会長=西森ルイス州議)が主催し、マリンガ日伯文化体育協会(ACEMA)が実施した州代表を決める「ミス・ニッケイとミス・移民100」選考会が一日、同マリンガ会館で盛大に行われた。 十四人の美貌を誇る候補者がならんだが、審査の結果、ミス・ニッケイに ...
続きを読む »柴田新空軍少将が誕生=レジストロ出身=陸戦部隊の総責任者
ニッケイ新聞 2007年11月30日付け 【ブラジリア支局】武士道精神の日系空軍少将が誕生した。柴田・アウグスチーニョさん。新少将は、一九四六年、サンパウロ州レジストロの出身、現在六十一歳。 正式に十一月二十二日付けの官報で告示され、二十五日にはブラジリア空軍基地内サロンで披露のパーテイーが催された。島内憲・駐ブラジル日本国 ...
続きを読む »82年前レジストロに入植=清水家の親族集う
ニッケイ新聞 2007年11月23日付け 一九二五年レジストロに入植した「清水家」の集いが、去る十月十三日、ピエダーデで行われた。集いは、隔年で行われている。親族が、末広がりに増えて、今ではサンパウロ、サンパウロ近郊、クリチーバ、ポルトアレグレ、ブラジリア、ポルトアレグレまで広範囲に暮らしている。 親族が増えるにしたがって、 ...
続きを読む »兵庫県=実り多かった農業研修=今年で30回、計9百人に
ニッケイ新聞 2007年11月23日付け 県が実施する兵庫県若手地域農業リーダー育成研修事業の海外派遣団(椿原健右団長)が十六日午前九時から、ニッケイパラセホテルで記者会見を開き、今月四日から行われた研修を振り返り、それぞれの感想、今後の目標などを語った。 同派遣団は計十五人で構成、二人が引率者で残り十三人が研修生となってい ...
続きを読む »