ニッケイ新聞 2011年8月12日付け 作家の島崎藤村を偲ぶ『第29回藤村会』(矢崎逸郎代表)が20日午後3時から、サンタクルス病院敷地内の藤村記念碑前(Rua Santa Cruz, 398, Vila Mariana)で行なわれる。参加無料。 記念碑を囲んで追悼した後、藤村の作品や歌を読み、資料を基に作品について話し合う ...
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■訃報■木村博
ニッケイ新聞 2011年7月5日付け 弁護士の傍ら長年にわたって熊本県人会の副会長などを務めた木村博さんが4日午前5時ごろ、入院先のサンタクルス病院で肺炎をこじらせて亡くなった。行年96歳。 熊本県熊本市で1915(大正4)年1月に生れ、親に連れられて20年に渡伯。リンスのウニオン植民地に入植した。その後出聖し、父兄会寄宿寮 ...
続きを読む »■訃報■渡辺光氏
ニッケイ新聞 2011年4月27日付け 本紙歌壇の選者だった渡辺光氏が23日午前、検査入院中のサンタクルス病院で亡くなった。享年81。 1960年、あるぜんちな丸で来伯。サンパウロ市でラジオ販売会社に勤めた。 95年から短歌をはじめ、本紙歌壇のほか、歌誌「椰子樹」、「ブラジル老壮の友」の選者も務めた。 宮中歌会(08年度 ...
続きを読む »■訃報■林寿雄氏
ニッケイ新聞 2011年2月26日付け サンパウロ市のロージャス・ニッポン創業者、ブラジル力行会相談役などで知られる林寿雄さんが21日、肺炎をこじらせて加療の甲斐なくサンタクルス病院で亡くなった。行年100歳。18日に家族だけで誕生日を祝ったばかりだった。 1911年2月に熊本県下益城郡に生まれ、31年に県立工業高校卒業後、 ...
続きを読む »大耳小耳
ニッケイ新聞 2010年12月4日付け サンタクルス病院のコンベニオ「プラザッキ」の診療所が、今週月曜から新住所(Rua Loefgreen, 1009)に新装開店した。営業時間は午前7時から午後7時まで。今までよりもサンタクルス駅に近くて、広く新しい診察室になったという。検査の許可などの運営機能は今までの場所に残る。診察予約 ...
続きを読む »■訃報■中林昌夫氏
ニッケイ新聞 2010年10月19日付け 日伯毎日新聞副社長、茨城県人会会長などを務めた中林昌夫さんが18日正午、入院先のサンタクルス病院で肺炎をこじらせて亡くなった。一週間前に入院するまでは元気で、将棋連盟やパウロス印刷に毎日顔を出していた。享年87。 1923年6月に茨城県で生まれ、33年にありぞな丸で家族と共に渡伯。父 ...
続きを読む »大耳小耳
ニッケイ新聞 2010年10月15日付け 絵手紙の創始者である小池邦夫氏の作品はハガキ1枚で5万円ほどの値打ちが付くという。そんな同氏はブラジルと交流を深め、指導を行う寺前さんに心よく40センチ大の大きな富士の絵を送り、「清風明月」と書かれたハガキの他、「寺前さんは日本とブラジルを繋ぐ。人と人とをありがとう」と直筆の手紙まで添 ...
続きを読む »サンタクルス病院=中矢新理事長「2年間で負債ゼロに」=医師会との〃結束〃を強調
ニッケイ新聞 2010年9月25日付け 【既報関連】前理事長が突如辞任、内部あつれきが表面化しているサンタクルス病院の理事会は、医師協会と合同で23日午後、記者会見を開いた。 中矢新理事長、伝田英二副理事長、サルヴァトーレ・スポザット理事、医師協会からはイシャラ・ユワ会長、カルロス・イトウ、レオネル・フェルナンデス両医師らが ...
続きを読む »サンタクルス病院=菜切理事長が突如辞任!=医師協会とのあつれきか=銀行負債は2600万レ=食い違う中矢氏の〃見解〃
ニッケイ新聞 2010年9月24日付け 1939年の落成以来、戦時中の接収から90年の返還まで手を離れた時期はあったものの、日本語が通じるコロニアの病院であり続けたサンタクルス病院が今、揺れている。同病院に勤務する医師らが給料の遅配や運営方針に疑問を呈する質問状を理事会宛に提出したことを受け、09年に就任した菜切健児理事長が9 ...
続きを読む »大耳小耳
ニッケイ新聞 2010年9月24日付け 医師会からの反発もあり、任期半ばにしてサンタクルス病院の理事長を辞任した菜切健児氏。昨年3月の就任時、本紙の取材に対し、「最先端の医療機器があっても、信頼できて有能な医師がいなければ人は集まらない。大事なのは人。中身をしっかりして、今以上に人を呼ぶ病院を目指したい」と抱負を話しているが、 ...
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