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ニッケイ 関連記事

岐阜県人会総会、2月16日

 ブラジル岐阜県人会(長屋充良会長)の「定期総会」が2月16日、サンパウロ市リベルダーデ区のニッケイパラセホテル(R. Galvão Bueno, 425)で開かれる。第一次召集は午前9時半、第二次召集は午前10時。  議題は昨年度の事業報告並びに会計報告、理事及び監事選挙、今年の事業計画並びに予算案の審議、今年の拠出年金、その ...

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特別寄稿=『移民と日本人』を読んで=サンパウロ市在住  中田みちよ

 『移民と日本人』、久しぶりに一気に読みました。  それほど目新しいハナシなのかというと、私の乱読の余録もあって、それほどでもありません。深沢さんは記者ですから、すでに紙上で発表されている記事も多く、それ自体は既知項目。ただし、もう少し知りたかった次の場面が掘り下げられていて興味深いものでした。  たとえば「アルゼンチンで売られ ...

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池坊ブラジル支部=令和最初の初生け=3日間で400人が来場=「平成の終わりと令和の始まり」

 華道家元池坊華道会ブラジル支部(河村徳子支部長)による「第1回令和時代の初生け」が、11、12両日にサンパウロ市リベルダーデ区のニッケイパラセホテルで行われ、約400人が訪れた。10日夜には、来賓を招いて開会式が開催され、約120人が来場。令和最初の初生けで、会場は華やかに彩られた。  令和初をモチーフに、入口に「平成の終わり ...

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沖縄移民研究塾=『群星』5号、合評会2月1日=節目記念して内容盛りだくさん

来社した高安さん、宮城さん、嶺井さん

 ブラジル沖縄県人移民研究塾(宮城あきら塾長)が発行する同人誌『群星(むりぶし)』第5号が昨年10月に刊行された。日本語・ポルトガル語の両語。本紙編集部やブラジル沖縄県人会本部にて無料配布中だ。  節目となる第5号の発刊記念として、宮城編集長への特別インタビューを掲載。塾創立から5年が経ったことを受け、これまでの内容の成果を総括 ...

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■今週末の催し

 11日(土曜日)  新令和時代の初生け(華道家元池坊華道会ブラジル支部)、午前10時、ニッケイ・パラセ・ホテル(R. Galvão Bueno, 425 – Liberdade)、10日午後7時半から開会式、12日も開催      ◎  映画鑑賞会(サンパウロ名画友の会)、午後12時半、ブラジル日系熟年クラブ連合会 ...

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第1回新令和時代の初生け=華道家元池坊ブラジル支部

 華道家元池坊華道会ブラジル支部(河村徳子支部長)が「第1回新令和時代の初生け」を11、12日午前10時~午後6時まで、サンパウロ市リベルダーデ区のニッケイパラセホテル(R. Galvão Bueno, 425)で開催する。入場無料。  「美と和」を掲げ、生け花の美しさと会員の親睦を大事にしている同支部。今年は日伯の花材を使用し ...

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【2020年新年号】東京五輪=ブラジル柔道の男子代表監督=藤井裕子さんの新たなる挑戦=祖国日本で金メダル目指す!=岡野脩平元監督「結果を出して!」

 「女性が男性を率いることができないという概念を覆してほしい」――大きな変化を求めるブラジル柔道連盟から、2020年東京五輪のブラジル男子代表監督という大任を依頼された時、藤井裕子さん(37、愛知県)は、そう口説かれた。16年のリオ五輪で藤井さんが女子代表の監督を務め、ラファエラ・シルバ選手(27)が金メダルを獲得したことは記憶 ...

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【2020年新年号】新しい年を迎えるにあたり=宮坂国人財団 理事長 西尾ロベルト義弘

 皆様、明けましておめでとうございます。  私ども宮坂国人財団は、ちょうど1年前の2018年11月29日に、サンパウロ州サンベルナルド・ド・カンポ市のイミグランテス街道34・5キロ地点に、「エコロジコ・イミグランテス公園(環境公園)」を開設いたしました。  これは、ブラジル移民110周年の記念事業であり、日本移民を温かく迎え、日 ...

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【2020年新年号】謹んで新年のお慶び申し上げます=ブラジル日本文化福祉協会会長 石川レナト

 ニッケイ新聞購読者の皆様、2020年の年頭に当たり、謹んで新年のお慶びを申し上げます。  昨年10月22日に東京で行われた、日本国天皇陛下の御即位を公に宣言する「即位礼正殿の儀」において、ブラジルからはボルソナロ大統領が参列し、ブラジル日系社会の代表者らも御招待を賜り、歴史的瞬間に立ち会えましたことは身に余る光栄でございました ...

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愛読者の皆さまに感謝の一年!

 2019年は読者の皆さんにとって、どんな年だっただろうか?  昨年末にサンパウロ新聞が廃刊したことの余波が、繰り返す波のようにいろいろな場面で押し寄せてきた。取材依頼が例年以上に多いと感じたのは、その一例だ。  年明けに400人ほどのサ紙読者が弊紙に移ってきてくれた。別の新聞を読むという決断は、読者にとって大きな、重いものだと ...

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