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新年の挨拶=駐ブラジル日本国大使=三輪 昭

新年特集号 ニッケイ新聞 2012年1月1日付け  明けましておめでとうございます。謹んで新年のお慶びを申し上げます。  昨年3月11日に発生した東日本大震災に際しては、ブラジルからはルセーフ大統領をはじめ連邦政府だけではなく、多くの国民の方々、とりわけ日系社会の皆様から温かい言葉や支援を頂戴致しました。改めて御礼申し上げます。 ...

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知られざる麻州日系史=「本当の野心家多かった」=リオ・フェーロ、カッペン植民地

新年特集号 ニッケイ新聞 2012年1月1日付け  昨年9月末に行われた第1回クイアバ七夕祭り。念願の祭りを開催するに至るまでの経緯を、実行委員長を務めた地元の戦後移民、尾崎堯さん(76、秋田)に聞いた。尾崎さんはマット・グロッソ州都クイアバ市から北北東に約500キロ先、和歌山県人の松原安太郎によって開設された「リオ・フェーロ植 ...

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昇竜の如き躍進の年に=在サンパウロ日本国総領事館=総領事 大部 一秋

新年特集号 ニッケイ新聞 2012年1月1日付け  新年明けましておめでとうございます。  昨年、我が国は3月11日に発生した東日本大震災により戦後最大の困難に直面しましたが、護り合い支え合いながら勇気を持って必死になって進んできました。大災害との闘いは今なお続いていますが、一日も早い復旧・復興がなされ被災地の皆様が一刻も早く安 ...

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カッペンで両親亡くなる=「第5陣来なくていい」

新年特集号 ニッケイ新聞 2012年1月1日付け  七夕祭り2日目の10月1日は、60年にカッペン植民地へ第4次隊として入植した沖縄県読谷村出身の山内義寿さん、真寿さんが家族とともに訪れていた。同地には56年の第1次隊を皮切りに第4次隊まで沖縄出身の移住者が送られた。  2人は一家12人で「大きな土地を求めて」入植した。「当時日 ...

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日系社会がなくなる?!=人文研年表の編集終えた雑感=ニッケイ新聞元編集局社会部長 神田 大民

新年特集号 ニッケイ新聞 2012年1月1日付け  去る1月から10月まで、人文研(サンパウロ人文科学研究所)の『日本移民・日系社会史年表』増補版(1996年〜2010年)の編集作業をさせていただいた。1995年まではすでに刊行され、実用に供されており、そのあとの分を担ったのである。作業を通じ感じたのは、日本人移民子孫の日系人意 ...

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笠戸丸移民の子孫が集合=渡久地政人さんを偲んで=1人から114人の大所帯に

新年特集号 ニッケイ新聞 2012年1月1日付け 6人の子供と孫、ひ孫も=「人種偏見がなかった」  一人の笠戸丸移民から114人の大所帯へ—。19歳のとき第1回移民船笠戸丸で渡伯した渡久地政人氏(1889—1968)の直系の子孫は114人(子供12人、孫38人、曾孫50人、玄孫14人)に上る。11月19日、子孫とその配偶者らを含 ...

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新年を迎えるにあたり=ブラジル日本都道府県人会連合会会長 園田昭憲

ニッケイ新聞 2012年1月1日付け  2011年は、世界を震撼させた東日本大震災と、それに伴う福島原発事故という未曾有の幕開けの年でありました。  青天の霹靂ともいえる大事件を目の当たりにし、ブラジル日系社会も祖国日本への思いを胸に、義援金活動を速やかに展開しましたが、同じく1億9千万レアルのブラジル国民の暖かい手は胸に打つ思 ...

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政人さんの生涯をDVDに=非日系の子孫配偶者が制作

新年特集号 ニッケイ新聞 2012年1月1日付け  ポルトガル系子孫であるマルレーニさんの夫、オズワルドさんは、99年に亡くなった長男ミゲルさんが数人の家族の名前を残していたことから、それをもとに政人氏の人生について調査を開始した。「妻がいつも次世代に政人さんの人生を伝えたいと願っていたから」ときっかけを語る。  政人氏の後にブ ...

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〝伯流〟は世界に広まるか=ブラジル大衆文化の輸出

新年特集号 ニッケイ新聞 2012年1月1日付け  日本ではここ数年『韓流』と呼ばれる大衆文化が高い人気を呼んでいる。それはK—Popと呼ばれる流行歌から、TVドラマや映画にも及び、現在は米国進出を視野に入れるに至っている。まるでサムスンやLGといった家電製品の海外進出の成功に文化が続いていくかのようだ。そこから連想し、では『韓 ...

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サントアンドレーに広場も=一度も沖縄に帰らずに逝去

新年特集号 ニッケイ新聞 2012年1月1日付け  1889年1月13日、沖縄県美里村東恩納(現うるま市)に生まれた政人氏は19歳で、中頭郡出身の宮里盛秀氏の構成家族として笠戸丸で渡伯した。  カナーン耕地に配耕されたが一年経たないうちに逃亡し、サンパウロ市に移った。そこで掃除夫、庭師などとして働きながら2年過ごした。憲兵隊の傭 ...

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