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ニッケイ 関連記事

NHK紅白歌手=三山ひろしからメッセージ=公演チケット、残り僅か=スペシャル晩餐会も決定=北パラナ・アサイでも開催

 「松前ひろ子・三山ひろしスペシャルコンサート」(池田マリオプロダクション主催)までついに1カ月を切った。日本移民111周年を記念して、6月16日(日)にサンパウロ市の文協大講堂(Rua Sao Joaquim, 381)で催される。企画・チケット販売を行う藤瀬圭子プロ事務所の藤瀬さんは、「高齢者向け半額チケットは1週間でなくな ...

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野口総領事の誕生日祝う

誕生会の出席者

 リベルダーデ友好会(平崎靖之会長)が野口泰在聖総領事の誕生会を7日、サンパウロ市のニッケイパラセホテルで開催した。約50人が出席。総領事は53歳を迎えた。  まず下本八郎元サンパウロ州議、リベルダーデ文化福祉協会(ACAL)の池崎博文会長らによる祝辞のあと、ゴルフウェアなどが贈られた。ケーキカットが行われ、サンパウロ日伯援護協 ...

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立つ鳥あとを濁さず=移民の「終活」座談会=(2)

40年余の間、邦字紙記者として過ごした石塚大陸さん

独身者が亡くなったら? 【深沢】大部総領事のエピソードに加え、なぜいま終活の座談会を企画したのかというと、ニッケイ新聞に長年勤めた名物記者の石塚大陸さんが昨年10月に突然亡くなったことがあります。  彼は生涯独身で、パウリスタ新聞の元記者Mさんと80年代から30年以上も一緒に住んでいました。ある日転倒して頭を強く打ち、一週間ほど ...

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立つ鳥あとを濁さず=移民の「終活」座談会=(1)

座談会の様子

 ニッケイ新聞編集部は、読者の「終活」(人生の終りに向けた活動)意識の高まりに応え、「移民の終活座談会」を行った。ブラジル日系熟年クラブ連合会会長・上野美佐男、同会第3副会長・中川浩己、介護士・長谷川美津子(JICAシニアボランティア)、本紙編集長・深沢正雪の4氏が参加し、移民ならではの終活の悩みを語り合った。 驚くほどキレイな ...

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終活の悩みアンケート実施=専門家に質問したいことは?

 ニッケイ新聞では近年の終活意識の高まりに応え、紙面での情報提供を行うことを決めた。取材活動の一環として今後、本面下の広告欄に「終活に関する悩み応募用紙」を掲載し、読者から専門家へ質問したい終活の悩みを募集する。  終活とは、「自らの人生の終幕を納得いくものにするため、来たる病や死を見つめ、心の準備をする事、終末期医療や葬儀に自 ...

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報告書発行で110周年に終止符=大井セリアさん編集担当

菊池委員長と大井さん

 ブラジル日本移民110周年記念祭典実行委員会(菊地義治委員長)は、『「感謝と希望」ブラジル日本移民110周年記念祭典事業報告書』を4月30日に発行した。編集を担当したのは大井セリアさん。  報告書には眞子内親王殿下のご来伯や、2千人の出演者が舞踏や太鼓を披露した豪華芸能ショーの様子が、多くの写真(ニッケイ新聞提供)と共に記録さ ...

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大耳小耳

 第442部隊は「テキサス大隊の救出」で救出した直後、当然のことテキサス大隊は抱き合って喜んだ。だが同大隊のバーンズ少佐が軽い気持ちで「ジャップ部隊なのか」と言ったため、第442部隊の少尉が「俺たちはアメリカ陸軍442部隊だ。言い直せ!」と激怒して掴みかかり、少佐は謝罪して敬礼したという逸話が残されているという。      ◎ ...

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サンパウロ市=ACALがコバス市長顕彰=リベルダーデ広場改名の功で=「団結して模範的地区に」

表彰を受けるコバス聖市長とACALの池崎会長(撮影・望月二郎)

 「ブラジル、そしてサンパウロ市は、日系社会の支援のおかげで今日の発展がある」――ブルーノ・コバスサンパウロ市長は4月24日、リベルダーデ文化福祉協会(ACAL、池崎博文会長)主催の晩餐会に参加し、そう日系社会に敬意を表した。戦後“日本人街”として発展してきたサンパウロ市リベルダーデ区の中心リベルダーデ広場。昨年の7月18日に同 ...

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巨大商業化した日本祭りへの提言=来場者のための本当のカイゼンを=サンパウロ 中野 晃治

例年、大行列となる食の広場の様子

▼シンポジュームでの講演  サンパウロの「郷土食・郷土芸能祭り」が年々巨大化し、「日本祭り」に代わって久しい。『「日本祭りに追い風が吹いている。全伯で祭りに勢いがあり、日系社会を前へと引っ張っている。文化の力で、南米全体を良い方向に変えていきましょう」との熱気で「第1回日本祭り主催者シンポジューム」がジャパンハウスで催され、全伯 ...

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元ニッケイ新聞記者の足跡

インターネット上で、04年にブラジル日本交流協会を通じて本紙で研修を受けた先輩男性記者のブログを見つけた。しかも日本に帰った後、当時を懐かしんで11年に記載したもの。同じ記者の足跡に、親近感が沸いてついつい読んだ。  恐ろしいことに、先輩記者はかつてグリセリオ街にあった社員寮に滞在した。当時から相当治安が悪かったそうで、「到着後 ...

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