2007年2月10日付け 茶道裏千家ブラジルセンター(林宗慶代表)は、四日、ニッケイ・パラセ・ホテルで、準教授の資格を授与された三人の祝賀会を開催した。授与された人は、武田宗知さん、鶴賀宗里、浜岡宗光さん。昨年十一月二十六日の宗旦忌の折り、林代表から資格許状が伝達されていた。今回、別席で、三者によるお礼の薄茶席が設けられ、その ...
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「私たちの状況まで悪くなる」=湖西市の死亡自動車事故=インターネットで非難の声=在日ブラジル人が帰伯容疑者に
2007年2月10日付け 「あんたのせいで私たちの状況までどんどん悪くなっていくんだ」――。帰伯逃亡事件に関して、インターネット上で在日ブラジル人からの非難の声(ポ語)が続々と書き込まれている。とくにやり玉に挙げられているのが、フジモト・パトリシア容疑者とその父親ロベルト氏だ。初の国外犯処罰裁判(代理処罰)でも起訴事実を認めて ...
続きを読む »日本会議「日本女性の会」の会長に就任=小野田夫人の町枝さん=「荒廃の日本再建のとき」=「日系人の家族愛はいいお手本」
2007年2月7日付け 「ブラジルの日系人には日本魂が残っている。その心にブラジルで触れて、知っている私だからこそ、それを日本に伝えたい」。日本会議の女性団体「日本女性の会」会長に、ブラジルへの移住経験のある、小野田町枝さん(69)が就任した。今回、ブラジルでの約三週間の滞在を経て日本へ帰国するにあたり、五日、ニッケイ新聞社の ...
続きを読む »「厚生省通達は違法」=在ブラジル被爆者訴訟=最高裁=広島県の上告を棄却=未払い分手当支給が確定
2007年2月7日付け 被爆者援護法に基づく健康管理手当の一部を時効を理由に支払わないのは不当だとして、ブラジル在住の被爆者三人が広島県に対して未払い分約二百九十万円の支払いを求めた訴訟の上告審判決が六日、最高裁第三小法廷であった。同訴訟は手当の支払いを命じた今年二月の広島高裁の判決に対し、県が上告していたもの。藤田宙靖裁判長 ...
続きを読む »東京都友会が新年会=坂和会長=研修員「再開」に意欲
2007年2月6日付け ブラジル東京都友会(坂和三郎会長)は、一月二十八日午後六時から、サンパウロ市リベルダーデ区のニッケイ・パラセ・ホテルで新年会を開いた。東京出身の西林万寿夫サンパウロ総領事ほか、会員約八十人が出席し、親睦を深めあった。 会の冒頭、あいさつにたった坂和会長は、〇六年の日伯両国の動きを振り返ったうえで、「他 ...
続きを読む »「遺族に心から謝りたい」=桧垣容疑者=本紙取材に悔恨の情=裁判ひかえ心境語る=「結果は受け入れる」
2007年2月3日付け 「もし自分が父親の立場だったら、もっと激しく追求したかもしれないと思う。父親とご家族には心から謝りたい」――。九九年に静岡県浜松市で女子高生死亡ひき逃げ事件を起こし、事件後すぐに帰伯した桧垣ミウトン・ノボル容疑者(31)が一日、ニッケイ新聞の取材に応じ、目を潤ませてそう反省の気持ちを語った。 桧垣容疑 ...
続きを読む »「後世に文化伝えたい」=新会長に纐纈さん就任=汎ソロ連合
2007年2月1日付け 汎ソロカバナ日伯連合文化協会の定期総会が十四日、プレジデンテ・プルデンテ文協(ACAE)で開かれた。今総会では、これまで五期五年にわたり会長をつとめた船田佳幸さんが健康上の理由で勇退、新会長に纐纈(こうけつ)俊夫氏(66)が選出された。 同連合にはソロカバナ線のオウリーニョスからプレジデンテ・エピタシ ...
続きを読む »コラム オーリャ!
2007年2月1日付け 先日、サンパウロ日本人学校は職場体験学習を行った。ニッケイ新聞では中学生二人が実習。このほどその二人から手紙が届き、自発的に考える姿勢を学んだとあった。 同校の生徒の多くはサンパウロ市の一等地から通学バスで学校に通う。その他の移動の基本はタクシー。在伯数年の二人でも市バスに乗ったことはない。 これら ...
続きを読む »「やったことを後悔している」=桧垣容疑者=追っ手に怯える心情吐露=祖父は画家の桧垣肇さん=01年まで東洋街に在住
2007年1月27日付け 「日本から〃何か〃が追いかけてくるんじゃないかと、いつも怖かった」。一九九九年に静岡県浜松市で女子高生の落合真弓さん=当時十六歳=がひき逃げされて死亡した事件に関して、帰伯逃亡した桧垣ミルトン・ノボル容疑者(31)は〇一年に市警第十六署で事情聴取され、そう日々の鬱々とした気持ちを語っていたことがニッケ ...
続きを読む »思い起こす間部の生涯=日経新聞連載を=2月から本紙転載
2007年1月25日付け 間部学没後十周年を記念して、ニッケイ新聞は日本経済新聞の許可を得て、間部氏の生涯を描いた連載記事を、スダメリス銀行の協賛で二月から転載することになった。 九七年九月二十二日に七十三歳で亡くなった間部学氏。この連載『私の履歴書 マナブ間部』は日本経済新聞に九三年十二月一日から三十一日まで三十回にわたっ ...
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