上塚が新たに植民地を創設するという話があちこちの地方の日本人移民たちに伝わると、多くの希望者たちが競うようにして集まって来た。その中には、今村の隠れキリシタンの人々も含まれていた。前述したように、この時点での移民たちは、まだ余裕などなく、分譲地であるにしても、それを即金で払えるという者はほとんどいなかった。そういう厳しい状況か ...
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中島宏著『クリスト・レイ』第76話
やっと手に入っても、満足するような量はなく、おまけにその価格は驚くほど高いものであった。しかし、背に腹は代えられず、とにかく入手できるものはすべて購入し、マラリアに罹った人々に与えた。それによって小康状態を保ち、徐々に回復して行く人々もいたが、それでも犠牲者の増加は後を絶たず、結局、このままでは大半の者が犠牲になりかねないとい ...
続きを読む »日本移民と邦字紙の絆=日系メディア百年史(8)
のちに日本新聞を始める翁長助成(おながすけなり)は、日伯新聞の主筆をやった時代がある。翁長と親交の深かった河合武夫は「モッカの場末のポロン(地下室)ではグーデンベルグが創始した頃のような手刷りの印刷機で双肌脱いだ元気の若い彼(翁長)が、気合諸共エイッと一枚ずつ刷る。十枚程刷り上げるとガラフォン(大瓶)のピンガ(火酒)を手酌で一 ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(249)
ほんの少しの暇があれば、浜辺にいける。宿直がない水曜日か木曜日の夜、サントスのヴィラ・ベルミロ球場まで足を延ばしサッカーの試合が見られるかもしれない。チームにはジット、ラエルシ、フォルミガ、ペペ、パゴゴアンなどの名選手がそろっていた。また、ペレーとかいうおかしな名前の少年が頭角を現し始めていたときでもある。いい試合のある日曜日 ...
続きを読む »わが体験的感冒予防法=サンパウロ州アルミニオ市在住 塩見岳人(しおみがくんど)
「二十年以上風邪をひかないんですよ」と言うと、人の反応はさまざまである。信じる人、信じない人に分かれるのだが、信じるにしても素直には信じない。あるいは、――自慢しているナ、もしかしたら嘘かも知れない――と思われて話がシラけてしまう。 「ほう」と言ってニヤニヤして私の顔を眺めている人もいる。「何か秘訣でも?」などと聞いてくれる ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(227)
こういって、初めの一本をすすめた。そのことを知ったとき、いつもだったら、叱りつけるのに、アキミツを罰することはできなかった。彼自身、そのころのはやり言葉で「煙突の煙」とよばれるぐらいのヘビースモーカーだったからだ。 安くて「胸がやられる」といわれるほどニコチンが多いマセドニアというタバコだった。そのころ「マセドニアこそ、純粋 ...
続きを読む »大耳小耳
一般財団法人・日伯協会(三野哲治理事長)が発行する会報『ブラジル』第986号が1月に発行された。中でも「ナショナリズムの表徴としてのカシャッサ」(田所清克京都外語大名誉教授)には感服。いわく《辞書や書物に当たると、実に700以上ものカシャサの同義語があることに驚かされる》とあり、具体的にポ語で「心を開くもの」「喧嘩の水」「小鳥 ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(217)
ルビーニョが外に出るなり、ドアを荒っぽく閉め、なかから鍵をかけた。ところが、彼の赤いコートがドアに挟まってしまった。懸命に引っぱったが抜けない。 「ぼくのドレス、ぼくのドレス」と叫びながら、ドアを開けてくれと懇願した。 「はっ、はっ、はっ。おまえは女の子のドレスをきるのか? コートという言葉もちゃんと言えないくせに」とドアも開 ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(216)
正輝はしだいに料理役をかってでるようになった。スープ作りには特異な才能を発揮し家族に喜ばれたのだ。豚の頭とケールを使ったスープで、アララクァーラ時代、豚を殺したときだけに作っていた料理だ。サントアンドレでは安く簡単に手に入る。火曜日、仕事を抜け出して、タヴァーレさんのパン屋に行きピンガを引っかける。洗濯場にはいつもピンガの瓶を ...
続きを読む »ボサノーヴァは誰が作ったの?=稀代の奇人ジョアン・ジルベルトか=サンパウロ市在住 坂尾 英矩
ボサノーヴァ創世記に飲み歩いた音楽仲間たち ブラジルの有名な奇人ミュージシャン、ジョアン・ジルベルトが昨年7月6日88歳で他界したニュースは、世界中の多くのマスコミで「ボサノーヴァの創始者」として大きく扱われました。中には「ブラジル音楽を改新して世界へ広めた功績者だから国葬にすべきだ」なんて書いた音楽評論家もありました。 私 ...
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