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ピンガ 関連記事

カシャッサをイメージアップ!=大衆酒脱皮なるか=上流層への浸透に各社懸命=年々増加する輸出

2006年3月3日(金)  【エスタード・デ・サンパウロ紙二十八日】今、カシャッサの美味さが見直され、業界ではイメージアップに奔走している。カシャッサは砂糖キビを原料として蒸留したピンガ酒のことで、ブラジルでは古来から大衆酒として愛飲されてきた。現在、大小合わせて四万のメーカーが五千以上のブランドで販売しており、年間生産量は一三 ...

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県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(10)=ペ・バレット=世界唯一?!の盆踊り常設場=珍しい史料集めた資料館も

2006年3月3日(金)  世界広しといえど、盆踊り専用の常設会場を作ったのは、ここぐらいのものだろう。南マット・グロッソ州のトレス・ラゴアスから、ふたたびサンパウロ州側に戻ってチエテ川を越え、最後の目的地ペレイラ・バレット(旧チエテ)へ入った。  ブラジル拓植組合によって一九二九年に入植が開始され、最盛期の一九三〇年代には千二 ...

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県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(9)=トレス・ラゴアス=大阪市より大きい牧場?!=オンサと〃牛〃種のるつぼ

2006年3月2日(木)  最終日の三日目、午前中はジュピア・ダムの見学だ。堤防の長さは約五千五百メートルもあり、サンパウロ州と南マット・グロッソ州をつなぐ橋の役割も果たす。  ダム見学後、いったんホテルで休憩し、午後一時過ぎにトレス・ラゴアス日伯協会(大坪シュンジ会長)の会館へ到着。サンパウロ市から西北西に約六百五十キロだから ...

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県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(8)=アンドラジーナ=「お互い、苦労したよね」65年ぶりの再会で固い握手

2006年2月24日(金)  ユバ農場を出て、午後六時四十五分にアンドラジーナ文化体育協会の新会館に到着。七時過ぎから歓迎会がはじまり、ノロエステ第三地区会長でもある小野秋夫同会長(45、三世)は、「百周年を目の前にこのように交流できることは大変嬉しい」と挨拶した。  舞台の上には、県連の中沢会長、南雲良治団長、ガラサイ文化体育 ...

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県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(7)=アリアンサ=『八十年史』編纂進む=寄付や情報提供呼びかけ

2006年2月23日(木)  第一が八十周年を祝った〇四年に「八十年史編纂委員会」が設立され、〇九年刊行を目指して着々と準備が進められている。委員の一人、ユバ農場の矢崎正勝さん(62、山梨県)も「百年祭の内容も入れたいので、その後に出すことにしています。しっかりしたものを作りたい」と意気込む。  まずは高齢者からの聞き取り取材を ...

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県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(6)=アリアンサ=続々と80周年迎える=「困難と涙で築いた村」

2006年2月22日(水)  ふるさと巡り一行は第一アリアンサ会館で行われた慰霊ミサのあと、婦人部が用意してくれた美味しい昼食を食べ、午後三時十分に第三会館へ移動した。敷地内に建つ「富山移住地 第三アリアンサ発祥の地」という立派な記念碑が目を引く。  ここから半キロほど離れた場所で生まれた、サンパウロ人文科学研究所の宮尾進さん( ...

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県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(5)=アリアンサ=「ここは祈りで拓かれた」=永田稠の大学構想引き継ぐ

2006年2月18日(金)  さわやかな朝、会館には五筋の煙がのぼった。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏――。  移民のふるさと巡り二日目、五日午前八時前にホテルを出発し、昨夜と同じアラサツーバ文化協会で先亡者追悼法要をした。  アラサツーバ南米本願寺の僧侶、中島康夫さんらによる阿弥陀経が読経されるなか、ノロエステ連合日伯文化協会の五 ...

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県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(4)=アラサツーバ=百周年に皇室のご来臨を=発祥の地から熱い期待

2006年2月17日(金)  プロミッソンの上塚公園を後にした一行は、七十キロ奥に入ったアラサツーバへ。まずはホテルで荷を下ろし、シャワーを浴び、照りつける陽射しの中でかいた汗を流してさっぱり。午後七時半からアラサツーバ文化協会会館で行われたノロエステ連合日伯文化協会による歓迎会に出席する。  まずは、同文協太鼓部「竜鳴和太鼓」 ...

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県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(3)=プロミッソン=謎 背中合わせの記念塔=清貧に生きた上塚偲ぶ

2006年2月16日(木)  平野植民地で分かれを惜しみながら出発した一行は、午後四時前、プロミッソンの上塚周平公園についた。上塚(一八七六―一九三五年、熊本出身)は〃移民の父〃と慕われ、特に人気の高い、移民史上の英雄の一人だ。  この土地はもともと植民地事務所があった場所で、上塚の家もここに建っていた。いわば、笠戸丸からわずか ...

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県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(2)=〃最古〃の日本墓地か=運平の墓にピンガを注ぐ=平野植民地

2006年2月15日(水)  一行は午前十時過ぎ、カフェランジア市中心部から二十キロほど離れた、平野植民地内の浄土真宗・平安山光明寺へ移動。その間、中沢県連会長ら代表だけが同地の創始者、平野運平の墓のある日本人墓地へ向かい、地元の人々と一緒に墓前追悼法要をし、順番に焼香した。  中沢会長と南雲団長は、平野運平が大好きだったピンガ ...

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