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ピンガ 関連記事

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(54)

現在のアサイ市の入り口

区会、青年団 大人は時々、寄合いをした。それは熱気に溢れていた。やはり資料類に掲載された「開拓期を語る座談会」の記事の中に、その様子が語られている。こんな風に──。【後藤】「その頃の区会は実に真剣だった。さながら帝国議会そのものだった。『区長! 異議あります』片岡さんが手をあげて堂々と意見を述べる。岩戸茂吉さんが起立する。オヤジ ...

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アーリョ・ショウナン裏話=炉辺談話=荒木桃里=(7)

ニンニク「長南種」

 牛にはそれぞれ、日本名ブラジル名を太郎、花子、テレザ、タチアナ、というように命名していた。太郎は日ごろボテコまで800メートルの道程を、出荷用の乳缶を載せて運ぶのに訓練していたので、カロッサは嫌がらずにつけさせていた。 でも、この日の太郎はちがっていた。 山道に入って二キロも歩かないうちに座りこんでしまった。いくら鞭でたたいて ...

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アーリョ・ショウナン裏話=炉辺談話=荒木桃里=(2)

にんにくイラスト

 今年になってこの地方は、アーリョの旋風が起こっている。それは、新品種として発見されてアーリョ・ショウナンが本年度始めて出荷してみて、サンパウロ中央市場で認められ、色艶といわず、身のしまり工合といわず好評を得、売れ行きは上々で高値をよび、その上、農務長官の認可も得て登録されたからである。 あまりの人気に食指を動かされた鹿さんも、 ...

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アーリョ・ショウナン裏話=炉辺談話=荒木桃里=(1)

手製のドラム缶ストーブ

 「ほう、機関車のようなものを据えたね」 大貫はコップをかかえながら、鹿内善造が手ごろに割ったマキをストーブにほうりこむのを見てそう言った。 六月になると、サンタ・カタリーナ高原は大霜に見舞われる日が多くなる。ことに雨天が二日続いた後は、急速 に大地が冷えこんで、南から吹いてくる風は、針をふくんだように衣服ごしに肌をさし、翌朝は ...

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宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(26)

 ある日のこと、区長さんがきて北山さんが倒れたと知らしてくれた。その朝、コーヒーをすまして車の始動をさせていると、急に気分がわるくなったという、見舞いにいってきた千恵の話ではー奥さんも顔がむくんでいて別人のようだったーという。北山家では老人ふたりが病気になっても、生計にどうということはないにしても、不測の失費にちがいない。太一は ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(25)

松原綿花農工商バーラ・ド・ジャカレ支店に入荷するカミニョンの列(1977年4月、『綿花王 松原武雄』より)

その数奇な運命 マツバラの後、ファゼンダ・ブーグレは、セラフィン・メネゲールという、やはりこの地方の事業家が買い取った。2015年4月現在、ブーグレでカナを栽培、それを原料に、バンデイランテスでエタノール工場を操業している。が、業界は危機下にあり、業者は何処も、経営は最悪事態にある。 思えば、ブーグレは数奇な運命のファゼンダであ ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(21)

北パラナの地図

 この1939年、姉が結婚した。それを機に、一家はイタンバラカーの大槻という日本人の農場に移った(イタンバラカーも、現在は独立した町=ムンシピオ=になっているが、当時はインガーの一部だった)。 大槻家は独立して同胞を使うまでになっていた。武雄たちは、まだ独立農にもなれずにいた。大槻農場では、山を伐り拓いてカフェーを1万5千本植え ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(20)

1925年6月28日、移民船「河内丸」は神戸港を出航。東シナ海を過ぎてシンガポール港に停泊。7月17日、同港で記念撮影。父・兼松(33)、母・こみよ(32)、長女・静子(14)、武雄(9)、兼子(3)(『綿作王 松原武雄』より)

8歳で農作業  少年は、日本では小学校に通っていたが、ブーグレでは、学校には殆ど行かず、カフェザールで働いた。もっとも当時、移民の子はたとえ8歳でも、そういうケースが多かった。 ファゼンダでは日本、ロシア、イタリア、ポーランドからの移民数百家族が就労していた。労働は厳しかった。夜明け前に鐘の音が響く。起床の合図である。眠い眼をこ ...

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ニッケイ俳壇(850)=星野瞳 選

ブラジルでは季節が冬である時期に桜が満開となり、『桜まつり』などが開催される所もある。

   アリアンサ         新津 稚鴎 気まぐれな雨が降っては冴へ返る屈託もなき髙笑い夜なべ子等サンジョンの焚火にちらと見しは彼ダムの水深く映りて凍てし星確実に老化は進み秋も逝く【一九十五年生れの、確実に百才を迎えられた作者・稚鴎さんには、老化など露見られぬ。どうか私達を引っぱって居て下さいお願いします。ついて行きます。私 ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(15)

1927年の上野一家(『上野米蔵伝』より)

 1926年、北パラナ日本人会が設立された。米蔵は副会長に選ばれ、翌年、北パラナ連合日本人会と改称した時、会長になった。30歳を少し越したばかりであった。 「北パラナに上野米蔵あり」と、サンパウロ州の邦人社会にまで知れ渡った。会長職は、以後、なんと32年間も務めることになる。 しかし、アルマゼンの仕事は、何故、そんなに調子良く行 ...

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