ホーム | ペルー 関連記事 (ページ 61)

ペルー 関連記事

ハイチ少年母と再会へ=サンパウロ市で保護から3年経て

ニッケイ新聞 2012年11月7日付け  2009年12月にサンパウロ市東部の地下鉄イタケーラ駅で保護されたハイチ出身の少年が、12日にフランス領ギアナに出発すると6日付エスタード紙が報じた。  貧困家庭を助けるためにハイチからフランス領ギアナに単身で渡った母が、父を亡くした後、祖父と暮らす息子を自分の所に連れてきてもらうために ...

続きを読む »

生産性上がらぬブラジル工業=投資の効果も表れず=新興国26カ国の末尾に=中国経済の減速化も響く

ニッケイ新聞 2012年11月6日付け  ジウマ政権2年目の経済成長率は2%台との見方が強いが、ブラジル工業界の11〜12年の成長率は1%で新興26カ国の中で最も低く、種々の投資も回復に繋がっていないと2日付フォーリャ紙が報じた。4日付伯字紙は、中国経済の減速化が進む中、工業の生産性回復に向けたブラジルの課題も山積している。   ...

続きを読む »

アクレのハイチ人が困窮=州が食費などの補助カット

ニッケイ新聞 2012年10月26日付け  アクレ州政府がハイチ人への食費や住居費補助を停止し、ブラジレイアに居る不法入国者が困窮していると25日付フォーリャ紙が報じた。  10年1月に大地震が起きたハイチは、同年10月のコレラ流行、2011年10月の国連派遣兵削減などで、復興もなかなか進まない。そんな中、増えてきたのがハイチ人 ...

続きを読む »

ブラジル文学に登場する日系人像を探る3=ギマランエス・ローザの「CIPANGO」=ノロエステ鉄道の日系人=中田みちよ=第2回

ニッケイ新聞 2012年10月26日付け  移民の多くはマット・グロッソがどこにあり、どんなところかも知らなかったのですが、まずイツー駅に集合して(農園を逃げ出した第一回移民が多い)二手に分かれました。  ①は鹿児島県人などと合流し、サントス港に集まった組で、鉄道建設会社が雇い入れた貨物船にのり、アルゼンチンのラプラタ河からパラ ...

続きを読む »

重油を使った発電再開=貯水ダムの水位低下で=降雨の遅れでやむを得ず=懸念される来年の電力料金

ニッケイ新聞 2012年10月20日付け  全国電力システム運営機構(ONS)が18日に重油を使った発電再開を決めた。ペルー沖の海面水温が上がるエルニーニョ現象の影響で雨が降らず、水力発電所のダム貯水量が減っているためで、来年以降の電力料金値上りが懸念されると19日付伯字紙が報じた。  ONSが重油を使った発電再開の必要を検討し ...

続きを読む »

選挙後の先住民に死者=燃料切れで停泊中に病気

ニッケイ新聞 2012年10月20日付け  アマゾナス州アタライア・ド・ノルテで、選挙のためにペルーとの国境に近い保護区から出てきた先住民約1千人の間で下痢が流行し、子供3人が死亡したと16、18日付フォーリャ紙サイトが報じた。  市長・市議選の候補から燃料を受け取り、94隻の船に分乗した先住民は10日かけて投票しにきたが、帰り ...

続きを読む »

大耳小耳

ニッケイ新聞 2012年10月12日付け  県連を中心として、被災3県に向け、ブラジルへの招待を提案する新たな動き。関係者の話によると「『樹海』に背中を押された」という。たしかに本紙10月6日付の『樹海』では、招待事業の実施について言及している。元からそれに近い案はあったというが、積極的に進める人がおらず、自然と放置されていたの ...

続きを読む »

日本からの想い、南米へ=倉下絵里子さん(28)

ニッケイ新聞 2012年10月5日付け  南米25カ国を旅しながら、日本で預かった手紙や品物を家族や友人に届けるメッセンジャーだ。  子どもの頃から英語が好きで、高校生の時に英、米国に留学。「もっと語学を学びたい」と、イタリア、スペイン、ロシア、ポルトガル、サンスクリット語まで勉強した。  3年前にアルゼンチンに留学し、「食べ物 ...

続きを読む »

クレジットの利下げ相次ぐ=リボ払いの不払い解消へ

ニッケイ新聞 2012年9月26日付け  政府からの圧力に押される形で、主要銀行が軒並みクレジットカードの利子を半減させはじめていると25日付伯字紙が報じている。  24日、ブラデスコ銀行は11月1日から実施するクレジットカードの利子率の変更を発表した。それによると、リボルビング払いの場合は上限が月率で14・9%から6・9%、分 ...

続きを読む »

在聖総領事館=福嶌教輝氏が13日着任=「素晴らしい活気」

ニッケイ新聞 2012年9月19日付け  在聖日本国総領事館に福嶌教輝(ふくしま・のりてる、54、兵庫)総領事が13日着任した。父親が商社勤めしていた関係でメキシコ生まれ、チリで小学校時代を過ごした。その経験もあって「外務省に入って南米で活躍したい」との夢を抱き、81年に京大卒、実際に入省した。  96年からアルゼンチン大使館に ...

続きを読む »