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ボリビア 関連記事

貧富の格差大きいブラジル=生活環境は世界63位=国連HDIは2年連続横ばい=富裕が総所得の半分

2005年9月9日(金)  【エスタード・デ・サンパウロ紙七日】国民の生活環境や位置付、人間形成などを示す、国連が設定する人間向上指数(HDI)で、ブラジルは今年生活環境の質はいくばくか向上したものの、未だ先進国の仲間入りをしていないことが明らかになった。世界ランキングでは二〇〇三年の六十五位から昨年と同じ六十三位を維持したもの ...

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バッテパッポ

2005年9月9日(金)  サンパウロ市当局は韓国人で工場経営のキ・ソー容疑者を労働法違反ならびに人権蹂躪の罪で逮捕した。同容疑者はサンパウロ市内パリ区の自社工場でボリビア人の大人十人、子供五人をいわゆる奴隷扱い労働を強要していた。当局では一ヵ月間の内偵を進めて逮捕に踏み切った。調べによるとボリビア人はいずれも不法入国者で同容疑 ...

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先輩たちが作業指導=コチア農学校=8期生23名実習始まる

2005年9月3日(土)  サンパウロ市近郊のジャカレイ市にあるコチア農業学校で、ブラジルを含む南米諸国からの農業研修生の実習が始まった。八月初旬に入所した八期生二十三名だ。二〇〇〇年に始まった実技研修は七期までに南米八カ国(アルゼンチン、チリ、ウルグァイ、パラグァイ、ボリビア、ペルー、コロンビア、および、ブラジル)の研修生二百 ...

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コラム オーリャ!

 読み手の感覚から乖離している―、と某読者からお叱りを受けた。  移住という共通体験が両者にあった時代。その心情、気持ちを推し量るしかないオーリャ子としては、うなだれるしかない。  ボリビア・サンファン移住地を訪れる前、サンパウロ市在住の元西川移民、田中慎二さんにお話を伺う機会を得た。  田中さんは五年間のジャングル生活を経て、 ...

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ボリビア・サンファン移住地50周年=開拓、その苦闘の末に=連載(下)=移住地支える若い世代=初代サンファン市長も誕生

2005年9月2日(金)  現在、西川橋がかかる移住地入口に流れるテヘリヤ川。  「三途の川って呼ばれてた。『出るも地獄、残るも地獄』ってね」。ブルドーザーを操り、移住地造成に携わった〃ブル池〃こと池田篤雄(70)さんはいう。「あのころは本当にひどかった」  ゼロからの出発。「騙されたっていうのが実感だったよね」。五七年に入植し ...

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ボリビアサンファン移住地50周年=開拓、その苦闘の末に=連載(中)=礎を築いた西川移民=開拓の歴史に悲劇もあり

2005年9月1日(木)  「この地を拓き、この地に生き、この地を愛し、この地に眠る霊魂に安らぎを」  式典当日までに亡くなった二百八十三人の名を刻んだ物故者碑の除幕式と慰霊祭も続いて行われ、参列した出席者たちは一分間の黙祷を行った。  JICAボリビア事務所の蔵本文吉所長を初めとした来賓、ボリビア国内にある十の県人会関係者が献 ...

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大耳小耳

2005年9月1日(木)  サンパウロで二度目の公館投票が始まった。書類の記入には職員六人が応対、投票所には十五の記載台を準備するなど対応を進めていた総領事館だが、午前中の混雑は予想を越えていたかもしれない。いったん来たものの「また別の日に来ますよ」と帰っていく人も。三時以降は混雑も一段落。同館によれば、今日は初日ほどではないだ ...

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ボリビア・サンファン移住地50周年=開拓、その苦闘の末に=連載(上)=式典に4閣僚も列席=記念碑の揮毫は小泉首相

2005年8月31日(水) 【サンファン発=堀江剛史記者】犬も通わぬサンファンも今年で入植五十年――。一九五五年の西川移民を嚆矢にその歴史が始まった同移住地は今月二十日、入植五十周年を迎えた。式典には政府から四閣僚も駆けつけ、国内における評価をアピールする機会ともなった。今年一月、移住地出身の伴井勝美氏(39、二世)が初のサンフ ...

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大耳小耳

2005年8月30日(火)  先日、ボリビアを訪れた。最大の都市、ラパス(首都はスクレ)は、富士山の頂上ほどの高所。さすがに空気が薄い。少し歩くだけでも息切れするし、タバコは置いておくと火が切れるほど。新しい場所に行くとご当地ビールを飲む習慣のある記者。今回ばかりは高山病で頭痛に悩まされ、久々の休肝日となった。慣れてしまえば大丈 ...

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バッテパッポ

2005年8月26日(金)  サンパウロ市南部ビラ・ナタル区に駐在していた軍警支部が家賃を二十カ月分滞納したかどで裁判所から立ち退き命令を受けた。通常立ち退きには軍警機動隊が出動するが、今回は同僚ということで出動は見合わせた。支部隊は十キロ離れた地方本部に引っ越した。同支部は三百人の編隊で八台のパトカーで付近をパトロールしていた ...

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