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ボリビア 関連記事

大耳小耳

ニッケイ新聞 2010年11月2日付け  よりによってボリビア出発当日に道路封鎖騒ぎに巻き込まれたふるさと巡りの一行。聞けば同市では現政権の政策に抗議する道路封鎖が頻繁に起こっているようで、地元の人は落ち着いたもの。この日は市場の小売商人たちのストだったそうだ。やむなく早朝暗い中ホテルを出た一行だが、すでに国道は封鎖されており、 ...

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亜国前大統領の通夜に長蛇の列

ニッケイ新聞 2010年10月30日付け  27日に急逝したアルゼンチンのネストル・キルチネル前大統領の通夜は、29日午前中まで続けられ、28日夜9時頃同国に到着したルーラ大統領は、クリスティーナ大統領らと約1時間を共にした後、帰国の途についた。前大統領の通夜には、ウルグアイ、チリ、ベネズエラ、ボリビア、エクアドルの各国大統領も ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《8》=サンタクルス=成長都市の日系人と交流=年2万%のインフレも

ニッケイ新聞 2010年10月30日付け  4日目の午前中はサンタクルス市内で、同国の植物学者ノエル・ケンプ・メルカドの名を冠した動物園を訪れた。コンドルや、アンデス高地に生息するリャマなどブラジル在住者には珍しい動物もおり、広々とした園内には多くの家族連れ。市民の憩の場になっているようだ。  中心部から8本の環状道路が広がり、 ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《7》=サンフアン=半世紀かけて得た安定=「苦労したけど、今幸せ」

ニッケイ新聞 2010年10月29日付け  午後1時ごろ始まった交流会には約300人が参加。牛、豚、鶏、野菜など地元の生産物、ボーガという名の川魚やマスの刺身など、婦人会が腕によりをかけた料理がずらりと並んだ。  「これからもボリビアとブラジルの日系人で交流を深めたい」と与儀会長が感謝のあいさつ。澤元静雄副会長の発声で乾杯し、食 ...

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大耳小耳

ニッケイ新聞 2010年10月29日付け  道もなかったサンフアン移住地でも、初期開拓の苦労の中、移住者は入植年の55年に学校を始めた。そのサンフアン学園は15年ほど前から同国文部省と協定を結ぶ半官半民の学校として、正課のほかに第二外国語として日本語を教える。現在の生徒は約230人。半数は日系だが、非日系でも能力試験3級に合格す ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《6》=サンフアン=「犬も通わぬ」も今は昔=ボ国卵市場の7割占める

ニッケイ新聞 2010年10月28日付け  05年に入植50周年を祝ったサンフアン移住地。昨年は日本人移住110周年式典出席のため同国を訪れた常陸宮同妃殿下もオキナワ移住地と同地を訪問された。  日比野正靭会長(71)は、「サントスからノロエステ線でボ国へ向かう途中、沿線の日本人から差し入れを受け、『そんな遠いところ何もないから ...

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ニッケイ新聞 2010年10月28日付け  ボリビアで唯一のマカダミア栽培を行なうサンフアン移住地。3年ほどで実がつき始めるが、収益が出るには10年ほどかかるので根気が必要。日系以外に広まらないのは、「待ちきれない」という理由もあるよう。一方、最近は同移住地の日本人の土地に入り込んでコカイン精製工場を作る輩もいるそうだ。「生産者 ...

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コラム オーリャ!

ニッケイ新聞 2010年10月27日付け  ふるさと巡りの取材で初めてボリビアを訪れた。約8割が転出したというオキナワ移住地。旅行に元入植者はいなかったが、夫人や高校の同級生が入ったという人がいた。それぞれ家族などに会い近況を話したそうだ。「皆さん苦労した」、南マ州から参加した一世はしみじみ語る。  当日の昼食には、同地では高価 ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《5》=解散危機もあったオキナワ=入植55周年のサンフアンへ

ニッケイ新聞 2010年10月27日付け  オキナワ第一移住地での交流を終えると、一行はバスで約40キロ離れた第二移住地へ。舗装道路は一転し、砂埃が視界をふさぐ土道だ。第二のヌエバ・エスペランサ校(島袋小百合校長)に到着すると、運動場で教師、生徒らが一行を待っていた。今年創立50周年。全校生徒120人のうち約3割が日系で、ほとん ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《4》=日本人でもアメリカ人でもなかった=入植56年、いま「住みやすい」

ニッケイ新聞 2010年10月26日付け  16歳でうるま植民地へ入った比嘉さん。「とにかくひもじかった」と入植当時を思い出す。「再訪した人に『先見の明があった』と言われたけど、金がなくて出られなかったんですよ」と笑う。  父安栄さんの「団体から出てはいけない」という言葉を振り返り、「植民地は自分で開拓するもの。こんなものと思っ ...

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