ニッケイ新聞 2013年11月13日 ブラジル熊本県文化交流協会(田呂丸哲次会長)が創立55周年を記念し、10日にサンパウロ市の同会館で記念式典を催した。日本からは小野泰輔副知事ら県関係者や熊本日伯協会会員ら、岡本悳也(とくや)・熊本学園大学学長率いるグローバルリーダー育成派遣研修団など39人が祝福に来伯。会員はじめ、県系人の ...
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (76)=二世「明日のブラジル市民」=なぜか好意的なメディア王
ニッケイ新聞 2013年11月22日 北島弘毅は1932年4月発行の現地雑誌『先駆』第8号に、日本人教師が児童に日本語で挨拶するよう教育している背景には、《日本人は日本領土内では「オハヨウ」なんだ》という意識があることを鋭く指摘し、当時の〃日本人村〃や「植民地」という言葉の中には「日本の領土」的な意識があったことを手厳しく批判 ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (65)=輪湖アリアンサ建設へ=永田稠と肝胆相照らす
ニッケイ新聞 2013年10月31日 運命の出会いは、移民史上最初の〃信濃村〃ともいえるレジストロ第4区だった。 その一人は、中南米9カ国を一巡中の日本力行会の第2代会長、永田稠(しげし)だ。1908リフォルニア州で『北米農報』を発行した。第1代の島貫兵太夫の指名を受けて1914年に帰国して会長職を継ぎ、黄禍論が高まって日本 ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (64)=2軒に1軒が脱耕の危機=ノロエステに向かう流れ
ニッケイ新聞 2013年10月30日 写真=1928年当時のレジストロ市街の様子、現在のPraca dos Expedicionarios(『20周年記念写真帳』15頁) 海興職員だった野村隆輔の目から見ても、《レジストロ植民地として一番危機に瀕したのは大正十二年、即ち一九二三年前後であった》(野村『思い出』30頁)とある。人 ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (34)=桂に続け! 続々と植民地誕生=「さあ本番」で渡航中止
ニッケイ新聞 2013年8月28日 水野龍が最初、サンパウロ州政府と契約を交わそうとした時、「単独青年」を想起していた。それまで北米や東南アジアへ送られていた出稼ぎ移民はみな単独青年であり、それが当時の移民会社業界の常識であった。 だがサンパウロ州政府が定着性を重視して契約に「3人以上の稼働労働力を有する家族」という条件を付 ...
続きを読む »コラム 樹海
ニッケイ新聞 2013年7月19日 「上塚周平さんは少しも気取らない、大変庶民的な人でした。母が日本で師範学校を卒業していて、プロミッソンに入植してからも日本語学校で教鞭をとっていた関係で、母に連れられて上塚さんのご自宅に伺ったことを覚えています」。清水道子さん(88、大分)=スザノ在住=の思い出話に聞き入った。「上塚さんのご ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇前史編◇ (21)=満を持して株式会社に=高橋是清日銀総裁も参画
ニッケイ新聞 2013年7月23日 桂首相兼外相は1913年1月13日に外相公邸へ渋沢栄一、高橋是清(日本銀行総裁)ら30余人を召集して「伯剌西爾拓殖株式会社」の創立委員会を行った後、3月10日には東京商業会議所で創立総会を開き、渋谷を議長にして会社定款を可決した。 最高顧問に大浦兼武、渋谷栄一、相談役に近藤廉平、中野武営、 ...
続きを読む »今も活動続ける青年部=特産物店12店が展示即売=歴代青年会会長53人表彰
福博村25青年会創立80周年記念祭 ニッケイ新聞 2013年6月22日 福博村25青年会は16日午前10時から、スザノ市福博二五青年会会館(現・福博村会会館)で「福博村25青年会創立80周年記念式典」を行った。往時の会員、歴代会長とその家族たち約200人が出席、会館横に仮設された福博村の特産物展示即売会場で村民が作った産物、商 ...
続きを読む »連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第78回
ニッケイ新聞 2013年5月21日 サンパウロ近郊なら、その日の夕方までには着いたが、遠距離になると二、三日後に店頭に並ぶことになる。野村は農業を離れると、雑貨店を経営しその店で新聞を売っていた。 外は日が高くなるに連れて、気温は急激に上昇した。児玉はマリーナと一緒に野村の家で朝食を摂ることになった。近くのパダリア(パン屋) ...
続きを読む »プロミッソン=安永忠邦さん92歳祝う=250人集い、連邦議会表彰も
ニッケイ新聞 2013年4月12日 〃移民の父〃上塚周平の晩年を知るプロミッソンの語り部、安永忠邦さん=二世=の92歳の誕生日が先月30日に祝われ、会場には家族や友人約250人が集い益々の長寿を願った。 「ひまつぶし」と笑いながらも毎日農園でコーヒー栽培に汗を流す。上塚の墓の掃除も絶やさない。忠邦さんは「人生で一番寂しいこと ...
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