ニッケイ新聞 2009年6月25日付け 先日ベレンを取材で訪れた際、市内サンタ・イザベル墓地にあるコンデ・コマこと前田光世の墓参を行なった。前田に詳しい汎アマゾニア日伯協会事務局長の堤剛太氏曰く「あまり訪れる人もいないようですね…」。意外に思った。戦前、地元では英雄だった人物だからだ▼一八七八年青森県に生まれ、十七歳で上京、講 ...
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大耳小耳
ニッケイ新聞 2009年1月30日付け 福祉センターの事務所設置場所として借地している賃貸料を、今月中旬まで一度も請求してこなかった池崎博文氏。援協側はやっと届いた請求五カ月分、計二万五千レアルを即座に振り込んだ。「うやむやな状況に手を打ててよかった」と関係者からの安堵の声もあったが、請求が来ないことから、事実上の無償奉仕と解 ...
続きを読む »コラム 樹海
ニッケイ新聞 2008年8月20日付け 百周年の年、北京五輪でブラジルが獲得した最初の三つのメダルが柔道だったことは意義深い。十九日正午時点で、ブラジルが得た全六つ(世界三十九位)のうち半分を占める。これは日本移民がもたらした貢献の一つだと言っていい。日本で生まれた柔道は、移民によってブラジルに持ち込まれ、大きな華を咲かせてい ...
続きを読む »世界柔道選手=権大会の感想=石井千秋=(下)=ブラジル、史上最高の成績=北京五輪も〃成長株〃たちに期待
ニッケイ新聞 2007年9月28日付け それにしてもブラジルの選手が、素晴らしい柔道を見せてくれた。100キロ級のルシアーノ・コレイアが全試合一本勝で、まるで神様が移ったしか思えないような大活躍で、あれよあれよという間に金メダルを取ってしまった。聞けば少し前、恋人を失い奮起して、この金メダルを恋人の墓に捧げるそうである。 そ ...
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2006年7月15日付け お隣ミナスでも百周年の輪郭が固まりつつあるようだ。記念誌・ビデオの製作でも特に日伯合弁事業の時代を取り上げるなど、「日ブラジル家プロジェクトの地」としての特色も打ち出されている。現在各地で、自治体、地元日系団体による百周年委員会が発足しつつある。今後も、それぞれの地域で移民百年を祝う動きが出てくるだろ ...
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7月16日(土) アマゾン開拓に尽力した「コンデ・コマ」こと前田光世(一八七八―一九四一年)を学校のシンボルにと、青森県の弘前市立船沢中学校(百九人、三戸建次校長)がマナウス市のプロフェソーラ・ジョセフィーナ・デ・メロ学校(三浦春寿校長)と交流を進めている。コンデ・コマは同県船沢地区出身。十五日付け東奥日報によれば、昨年十月、 ...
続きを読む »学校教育の中で柔道を=ポッソスの「センセイ」=新年から生徒350人余に
12月27日(土) ミナス州ポッソス・デ・カルダス市で「センセイ・マツオ」(センセイは先生のこと)といえば、それは柔道の松尾三久五段(六一、東京農大卒)のことである。松尾さんは、去る十二月二十日、試合を含む稽古納めを行い、ことし〇三年の練習を終了した。〇三年は、松尾さんにとって、画期的な年になった。教えるところはポッソス市内の ...
続きを読む »コラム オーリャ!
一九二〇年、前田光世(コンデ・コマ)がベレンに移住。講道館柔道の普及活動とともに、二五年の「農業視察調査団」とパラー州の橋渡し役を務めた。グレーシー柔術の礎となるなど、柔術、柔道界に貢献。前田に留まらず、空手、剣道、合気道などを導入、発展させた日系移住者の活躍は疑い無い。 空手のフランシスコ・フィーリョ、総合格闘技のバンダレ ...
続きを読む »北伯の柔道暑中稽古=松尾報告7月に柔道漬けだった(下)=東農大の先輩と35年ぶり再会=前田光世の墓に参る
8月12日(火) 六五年に渡伯してから三年間、私(松尾)はベレン市から三百キロ南下したパラゴミナス郡で開拓生活を送った。そのころ、お世話になったトメアスーとベレン在住の農大の諸先輩に、ついに三十五年ぶりで会うことができた。 水曜日、夜の練習が終わってから、加賀根良介君(七五年卒)のレストランに着いたとき、もう十数名の先輩が集 ...
続きを読む »北伯の柔道暑中稽古=松尾報告「7月は〝柔道漬け〟だった」=暑さとも戦う1日6時間=日本語のあいさつ板につく
8月9日(土) ポッソス・デ・カルダスの公立校で柔道を指導、ブラジルの柔道の底辺を広げる活動を毎日している松尾三久さん(六一、東京農大卒)は、去る七月、いつもに増して〃柔道漬け〃だった。寒稽古の指導を二つこなした。一つはパラー州ベレンで行われた。同地で、東京農大の先輩たちと交歓、拓殖大学の同窓会にも招かれた。講道館の大先輩・前 ...
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