2月15日(土) 現在、サンパウロ市にある約八十隊のボーイスカウト隊(州では約三百隊)のうち、日系のボーイスカウト隊は七隊を数える。 東のカラムルー、南のコチア(コーペル・コチア)と呼ばれた二大ボーイスカウト隊、ファルコン・ペレグリーノ、本願寺、ドゥッケ・デ・カシアス、北海道協会である。 日系ボーイスカウトの定義は創立者が ...
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勝ち負け抗争 関連記事
越境する日本文化 ボーイスカウト(4)=第17世界ジャンボリー 閉式の辞はブラジル代表=世界に認められた日系隊
2月14日(金) 日系ボーイスカウトを語る時、抜いては語れない人物がいる。 現三指会会長、石井久順である。石井は少年時代からスカウト活動をしており、その兄たちも戦後東京の主な大学ローバー隊(十八歳から二十二歳のスカウトはローバーと呼ばれる)の結成に大きく関わっている。 アルジャーの訓練所の後、コチア産業組合中央会に入った石 ...
続きを読む »越境する日本文化 ボーイスカウト(3)=訓練所は自然解散=細江氏の理想理解されず
2月13日(木) 五六年から始まったバウー訓練所、そして数年後のアルジャー訓練所の創設にはボーイスカウト移民を始め、すでに来伯していた青年、別の理由で細江に呼び寄せられた青年たちも加わった約五十人が携わっている。 初期のバウーでは制服を着て、野外技能を取り入れたハイキングを行ったり、スカウティング・フォア・ボーイズ(一九〇七 ...
続きを読む »越境する日本文化 ボーイスカウト(2)=カラムルー隊発足=バウー訓練所設立へ
2月12日(水) ボーイスカウト運動に取りつかれた細江は医師の仕事のかたわら、関連書物を読み漁り、ブラジル連盟の研修会にも参加し、この運動への理解のため勉強を重ねた。 その意志に同調する形で集まったのは大和会のメンバーでもあった小副川ルイス良三、大竹潮、伝田英二、阿部弥門、上野正二、花城ジョルジ、同仁会所属の医師たちである。 ...
続きを読む »越境する日本文化 ボーイスカウト(1)=戦後、日系二世たちの方向づけ=勝ち負け抗争がきっかけ
2月11日(火) ーあめりか丸からー ボーイスカウト第一號として着伯した内田克明、大和田誠一郎の両君と出迎えの細江静雄氏―。(一九五六年二月二十一日のパウリスタ新聞・写真) 内田、和田両氏を筆頭に五六年から六〇年までに『ボーイスカウト移民』として来伯した青年は二十九人。 これらの青年の呼び寄せ人となったのは援護協会、サンタ ...
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